プロローグ

 東京都庁を始め、高層ビルが林立する新宿、この街こそ大都会という名に最もふさわしい街である。  しかし、新宿という街は政治やビジネスだけでなく、その他にも様々な顔を持っている。山手線を挟んで、東口側に大きな商業の街をかかえ、そこに隣接して、歌舞伎町やゴールデン街という猥雑とした歓楽街をも抱いている。さらに、二十世紀の最後になって、タイムズスクエアがオープンし、南側の地域も大きな変貌を遂げている。このように多様な性格を持つ地域を包含して、新宿はいわば多重人格の街である。

 実は、新宿に限らず、人々がある街をイメージする時、そこのランドマークは概ねJRや私鉄の駅である。しかし、行政区としての新宿は、新宿駅から東と北に大きく広がっている。  そして、事件は、新宿区の東の端、四ツ谷駅の近くで起きた。  JR新宿駅の東口から、東に向かい、何街区か北を通る靖国通りと平行して、新宿通りがある。直交する外苑通りから、四ツ谷駅を抜け半蔵門までは、六車線の都内でも有数の幹線道路になる。四ツ谷付近の道沿いには、十階建て前後のオフィスビルが立ち並び、近年の不況の中にあっても活力に満ちているように見える。  その新宿通りもあとわずかで四ツ谷駅というところで、右に入ると、表通りとは異なり、一気に喧騒がやむ空間になる。

 午後八時、人気の失せたオフィスビルの二階、エレベータ前のホールで男と女が向き合っていた。女は三十歳前後のキャリアウーマン風、ネイビーカラーのスーツ姿が様になっている。男は、四十歳代後半の風采のあがらない遊び人といった風体である。  そのフロアの照明はすでに消されていたが、エレベータホール前の一方は全面が大きな窓で、街の明かりが差し込み、手探りで動かなければならないほどの暗さではなかった。  最初、二人は窓と平行に向き合っていたが、女が円弧を描くように移動し、窓を背にした。男から見て、女は完全にシルエットになった。その瞬間、女の左手が天井に向かって静かに振り上げられ、右手が添えられると、凄まじい速度で振り下ろされた。  女は、横たわる男の傍らに、黒光りする木刀を無造作に放り投げると、ベンチに置かれていたコートとバッグを掴み、その場をゆっくりと立ち去った