小説 北本市議会
第一話 嘘つきは市長の始まり
作 高橋伸治

1.

北本市議会事務局の小山晴子は、高木聡議員の討論に感じ入っていた。
この討論は、9月議会の最終日に行われた。
6月議会に一人の市民から提出された請願に対する「趣旨採択」に反対する討論であった。
「私が、この請願の紹介議員を引き受けた最大の理由は、放送大学くらいのことで、学歴詐称の追及をしなくてもいいじゃないかという言葉を聞いたからです」 高木はこう切り出した。
「言うまでもなく、有名大学の学歴詐称はいけないが、放送大学なら許されるという考え方は間違っています」
高木は、悲しげな表情を浮かべながら続けた。
4月に議会事務局に異動してきた晴子にとって、6月議会は初めての定例議会であった。慣れていないこともあり、議員の発言内容を理解しながら聞く余裕はなかった。9月議会は2回目の定例議会であり、ようやく少しは余裕ができていた。
そもそもこの請願は、「堂本市長の学歴詐称を明らかにし、辞職勧告決議を求める請願」であった。大変重いテーマであり、6月議会では決着がつかず、所管の総務文教常任委員会は継続審査とした。7月と8月の議会休会中に調査と数回の審査が行われた。
9月議会に入って、さらに3回の委員会が開かれ、総務文教常任委員会では「趣旨採択とすべきもの」という結論を得て、本会議において、委員長報告がなされた。
北本市議会には3つの常任委員会が設置されている。総務文教常任委員会、健康福祉常任委員会、建設経済常任委員会の3つである。20人の議員は、いずれかの常任委員会に所属することが義務付けられている。
市議会は、学校教育やごみの収集問題、商業振興など、市民生活に関わるすべての事項を議論することになる。全議員が一同に会して議論している議会もあるが、多くの議会は常任委員会に分割付託して議論をする。
常任委員会でも採決を行うが、本会議における委員長報告を受けて、さらに質疑を行い、最終的には本会議で決着する。
高木の反対討論の骨子は、学歴詐称は明かになっていることを確認したのであれば、「趣旨採択」というあいまいな結論ではなく、請願事項に同意する「採択」とすべきというものであった。
高木議員の反対討論は、晴子同様多くの議員の共感を呼んだが、それでも、趣旨採択賛成に過半数の票が入って決着した。

2.

「趣旨採択って、よく分からないわね。請願の仕組み自体も厳密には理解していないけど」
小山晴子の友人である藤川久美子は、ランチの後のコーヒーを飲みながら、晴子に尋ねた。
9月議会の最終日が金曜日であり、翌日の土曜日、緊張から開放された晴子は、地元の女性たちから人気の高いイタリアンレストランでランチをしていたのである。
議会の用語や制度は日常的な用語や制度と違って、特殊なものが多い。「請願」もその一つである。
晴子も議会事務局に来て、日本国憲法第16条で、国民の権利の一つ「請願権」として認められているものであることを知った。
国語辞書的には、請い願うことであるが、行政用語以外で使われることは稀である。
「今回の請願は特殊なものなんで、もっと分かりやすい例で説明した方がいいかも知れないわね」
晴子は、2年前に提出された「総合公園の野球場に防球ネット設置を求める請願」を例にあげて、請願の説明を始めた。
北本市には、野球場や多目的グランド、テニスコートや釣りができる池などを整備した総合公園がある。
そこの野球場が、硬式球を使用した試合や試合形式の練習が許可されていなかった。これは、ホームランやファールボールが球場外の人にあたる危険性があるからであった。 請願者は、近接する北本高校の野球部監督であり、数十人の市民が賛成者として名を連ねていた。
議会はこの請願を全員賛成で採択した。
「でも、市長が予算に計上してからが、揉めたのよ」
晴子はそこまで話して、この請願を例に出したことを後悔した。
「えっ、何があったの?」
案の上、久美子は尋ねてきた。
「12月の議会で請願が採択されたわけだけど、市長は翌年の3月に提出された平成28年度予算に、1億7000万円の建設費を計上したのよ」
晴子は、長い経緯を話さざるを得なかった。
もともと市長は以前から防球ネット建設推進派であり、渡りに船と予算化したのである。
しかし、請願採択に賛成した議員の中にも、ほとんど北本市の負担での建設には難色を示すものもいた。

3.

「それで、結果はどうなったの?」
久美子は身を乗り出して尋ねた。
「基本的に、予算編成をして、議会に予算案を提出するのは市長なのよ。議会は予算案を提案できないことになってるのよ」
晴子は、「ここまでは知っているわよね」と、久美子の表情を確認しながら話した。
「でも、議会が承認しないと予算は成立しないのよね。あら、賛成するか反対するか二者択一なの?。事業によっては、賛成の場合も、反対の場合もあるでしょ」
久美子は自信なさそうな口調になって尋ねた。
二元代表制と言われ、市長と議会という選挙で選ばれる、二つの市民代表が、どのような権限を持っているか、普通の市民は明確には理解していない。
人口6万7千人の北本市の年間予算規模は約200億円に上る。もっとも、約20億円の借金返済をして、新たに同じ規模の借金をするので、正味は180億円というべきかも知れない。 「数え方にもよるけど、市が行う事業は、大分類で20、中分類で100、細かく分けると年間千事業くらいあるのよ」
晴子は極めて大雑把に説明した。
「えー、そうなの。それじゃ、予算案を作成する側も、それを審査する議会も大変よね」
久美子は面倒そうな表情をしてそう言った。
「それで、先の質問なんだけど。議会は、予算案をセットで賛成するか、反対するかの選択が基本なわけ。でも、一部を修正する権限が議会にはあるのよ」
晴子は、例として、数年前の教育分野での大きな予算が修正された例をあげて説明した。
この事業は、前市長が唐突に提案したもので、市内4中学の2年生600人全員をオーストラリアにホームステイさせる事業であった。事業規模は、1億7千万円にもなった。
議会は、財政支出の公平性を欠くとして、また、一年で止めるわけにいかないとすると、毎年予算計上することになる。議会は、このような理由から、ゼロ査定とした。
「要するに、議会は新しい事業と予算を提案したり、市長が提出してきた事業予算を増額することはできないけど、減額修正はできるのよ。ゼロ査定も含めてね」
晴子の説明に。久美子は深く頷いた。

4.

「それで、防球ネットの請願の話にもどるけど。請願を通した議会としては、ゼロ査定すると理屈に合わないわけよね」
晴子がそう言うと、久美子は「そうよね」と頷き、「それでどうなったの?」と尋ねた。
議会は、修正をせず、予算に賛成した後に、付帯決議を行った。付帯決議の内容は、「市の単独費ではなく、国や県などのスポーツ関係補助金の活用に最大限努力し、請願者にも寄付等を求めること」というものであった。
「付帯決議という仕組みがあるのね。なるほどね。でも、市長は付帯決議を守らなければいけないの?」
久美子は疑問を口にした。
「するどいわね。その通りなのよ」
晴子は、久美子の切り返しを褒めた。
付帯決議は、法的な裏づけを持たず、市長に対する強制力を持つものではない。付帯決議が尊重されるかどうかは、議会と市長との信頼関係次第とも言われる。
議会が、否決したり修正したりすると、市長の面子を潰すことになる。苦肉の策として、付帯決議という形で議会側の主張を表すわけである。
前市長の場合、先送りにしてもいい場合は、その年度には実施せずに、翌年度に、少し事業内容を変更して再提出していた。一年待てば、議会の面子も立つわけである。
「結局,防球ネットの建設はどうなったの?」
久美子は、付帯決議がどのように反映されたのか知りたかった。
「一年待つことはなく、昨年度中に建設されたわ。それと、9月議会の高木議員の一般質問でわかったのは、国や県の補助金などはなく、寄付金も60万円だったそうよ」
「えっ、たったの60万円なの!」
久美子は驚きの声をあげた。
実際は、当初から予定されていたスポーツくじの補助金が2千万円弱あったので、市の負担は1億5千万円ほどになった。
高木議員の一般質問では、1年間で100試合防球ネットを必要とする球場使用が40年続くとして、1試合当たりの補助はいくらになるのかが明らかになった。
1試合当たり、ほぼ4万円補助しているという計算になる。
ほとんどが北本市の予算から支出されたのであるから、北本市民の負担ということになる。
しかし、半分以上は市外のチームが利用することになると予想されている。
「そういう発想を、市長はしないわけね」
久美子は大きなため息をついた。

5.

「ねえ、まだ時間があるなら、うちに来ない」
晴子は、午後2時近くになって、ランチの客が帰ってしまったことに気づいた。
「そうね、まだ、肝心なことは聞いていないし。でも、家族がいるんじゃないの?」
久美子は、立ち上がりながらそう尋ねた。
「今日は、旦那が子供たちを連れて出かけてるから、誰もいないのよ」
「それなら、いいわね」
二人は、国道17号近くにあるそのレストランを出て、それぞれの車を発進させた。
北本市の多くの主婦は、小型車か軽自動車をママ車として、乗りこなしている。
そのため、駅周辺ではなく、少し離れたところでも、隠れ家的なレストランが存在している。
そもそも北本市は、JR高崎線上にある市で、最近では所要時間として東京駅から55分、新宿駅からは50分の位置にあった。
古くは、江戸から京都に至る内陸の街道である中山道の宿場町であり、現在では、中山道は旧道として県道になり、17号国道が南北に貫いている。
地政学的に言えば、日本で群を抜いて広大な関東平野、その大宮台地の西北部に北本市は位置し、緩い勾配ながら、海抜として一番高く、荒川や利根川が氾濫しても最後まで陸地として残ると言われている。
地盤も良く、地震の震度も周辺の市町より、1段階低い。実際に、東日本大震災の際、近隣の市町では数百戸単位の住宅の屋根瓦が滑落したのに、北本市の場合は、数十戸であった。
高度経済成長時代からは、首都圏のベッドタウンとして、30年で人口を数倍増加させたが、太古から居住に適していた地域であり、その証拠に、5千年前の縄文時代の大きな集落が発掘されている。
晴子の自宅は、その遺跡のすぐ近くにあった。
青森県の三内丸山遺跡が縄文遺跡としては最も有名であるが、北本市の縄文遺跡は三内丸山から500年ほど時代は下るが、千二百年以上継続して居住していたこと、ペーハー値の関係で、漆土器の保存状態が良く、日本最大級の出土量である点により、極めて価値の高い縄文遺跡と評価されている。
ただし、三内丸山遺跡などのように、中心市街地から離れた場所ではなく、区画整理を計画していた地区に出土してしまったことが、大変な問題を引き起こしていた。

6.

「そう言えば、久美子さんの家は、堂本市長宅の近くだったわよね。評判はどうなの?」
晴子は、カモミールティーを淹れながら尋ねた。
「まあ、昔から子ども会の役員をやったり、地域貢献はしていたから、今まで評判は良かったし、だから当選したわけだけど」
久美子は、そこまで言って、口ごもった。そして続けた。
「実はね、請願の前に学歴詐称糾弾のチラシが、町内にポスティングされたのよ。それで、晴子さんに話を聞きたかったわけなのよ」
久美子は、カモミールの香りを聞きながら、今日、ランチを誘った訳を語った。
「あら、逆に、私の方が、そのチラシのことを先に聞きたいわ」
ここで、質問者と説明者が入れ替わった。
久美子の話によると、そのチラシが撒かれたのは、4月の連休前というから、6月議会より、一月以上前のことである。
請願人と同じ、須永一彦氏が発行したものであった。
このような、中傷的な内容のチラシは、発信者がわからない、所謂、怪文書であることが多いが、今回は発信者が明記されているものであった。
堂本昭夫市長は、平成15年から3期12年市議会議員を務めてから、平成27年の市長選で現職の石田孝司市長を破って当選した。
前市長が3期を重ね、暴君振りが不評を買い、さらに女性スキャンダルが吹聴されたことによる政権交代であった。
市長就任から3年目を迎えた時点で、学歴詐称という旧悪が露見したのである。
平成15年4月、堂本昭夫は、初めて市議会議員選挙に立候補した。
その際、新聞社からの調査票の最終学歴欄に、放送大学と記入してしていた。厳密に言うと、記入欄には放送大学、卒業と修了などの選択項目には修了が選択されていた。
実際には、市議会議員の候補者のプロフィルについては、大手の新聞社は掲載していない。北本市の市議会議員選挙は、所謂、統一地方選挙の一環として、県内の多くの市町村と同時に行われる。県民版ページのスペースが狭隘であるため、市長候補のプロフィル詳細は掲載するが、多数に上る市議会議員候補者のプロフィル詳細は掲載できないのである。
結果的に、堂本候補の最終学歴を掲載したのは、全候補の経歴を掲載した埼玉新聞だけであった。

7.

「そのチラシはここにあるけど、見る」
久美子はバッグから、クリーム色の書類を出して、晴子に差し出した。
晴子は、そのチラシがコピーされたものを、チラッと見せてもらったことはあった。しかし、元本を手にするのは初めてであった。
チラシのタイトルは、「堂本市長、学歴詐称か?」というものであった。
紙面には、埼玉新聞の候補者紹介欄と、市議会事務局に提出されていた履歴事項最終学歴欄の拡大コピーが載せられていた。
新聞の紹介欄には、最終学歴として「放送大学」、履歴事項票には、さらに詳しく「放送大学教養学部」と記載されていた。
発信者からのメッセージとしては、内容証明付の質問状を送付し、回答を待っていること、市民への説明責任を果たすことを要望することが記載されていた。
「これを読むと、内容証明付の質問状を出して、そのことを市民に知らせ、逃げられないようにしたと考えられるわね」
晴子は、応接テーブルに、そのチラシを置きながら感想を述べた。
質問事項としては、放送大学に在籍したのか、どのような科目と単位を取得したのか、卒業したのか、議会事務局に保管されている履歴事項票の最終学歴欄に「放送大学教養学部」と記載されているのは何故かであった。
チラシの発信者であり、請願人でもある須永一彦は、質問状の回答を受け取ることを前提として、議会に請願を提出したのである。
平成29年の6月議会は6月6日に開会となったので、請願はその一週間前の5月30日に受け付けられた。
議会は手続きや手順に拘る。書類も含めて、間違いがあると、決定事項が無効になるからである。
請願についても、必要事項が正しく記載されているかが厳密に確認される。
請願タイトル、請願人の氏名と住所、請願趣旨、請願事項である。
議会事務局では、これに受理番号と受理年月日を加える。これを議長が確認して、正式な請願受理となる。
「その後も、いろいろな手続きがあって、議長は総務文教常任委員会に、審査を付託したわけ」
晴子は、久美子はこの辺りのことに興味がないだろうと思いながら、こう言った。
「そう言えば、総務文教の委員長は女性議員だったわよね」
久美子は名前までは思い出せなかった。
委員長の矢澤美香が、難しい請願なので、頭を抱えてしまったことを、晴子は話した。

8.

「質問状への回答はどういうものだったの?。誰か議員の市政報告で触れられていたと聞いたけど」
久美子はこう尋ねた。
「遅れたけど、6月の初旬には返答されたそうよ。自宅周辺にこのチラシをポスティングされて、外堀が埋められていたから、拒否できなかったというわけね」
晴子としても、回答書の写しを見たことはなかったが、議会事務局内では話題となっていた。
まず、放送大学の在籍期間については、在学証明書を大学から取り寄せて回答していた。
それによると、平成4年から平成8年の在籍となっていた。
「ちょっと待って、最初の市議会議員選挙は、平成15年の4月だったわよね。7年もずれているじゃない。それって変よね」
久美子は驚きの声を上げた。
「そうなのよ。紹介議員の高木さんも、それを知って、ショックを受けたと言っていたわ。元々、高木議員は、どちらかというと堂本市長応援側の議員だったから」
晴子はこのことに関する説明を加えた。
高木聡は、この学歴詐称疑惑が持ち上がった時、一縷の望みを持っていた。平成15年当時、堂本市長は放送大学に在籍していて、卒業見込みの状態だったのではないか。そのために、最終学歴として、放送大学と書いてしまったのではないか。このような期待を持っていた。
しかし、在籍証明では、平成4年から8年となっていたのである。
「裏切られたという思いが強かったにちがいないわ。それも、紹介議員を引き受けた理由じゃないかしら」
晴子は回答の続きを話した。
回答では、卒業ではなく、中退であること、履修実績はプライバシーの問題で公開できないこと、履歴事項については「誤記」であると書かれていた。
「つまり、成績表は出せないということ。そうなると、籍を置いただけで、学習の実態はないかも知れないわけね。それに、誤記とはどういうこと?。誤記は、誤った記述ということで、意図的なのかそうじゃないのか、わからないじゃないの。話にならないわ」
久美子は激昂しながら、こう言った。
このように、堂本市長は不承不承、回答書を提出した。請願審査では、この回答書の内容も踏まえた議論が行われることになった。
午後5時になって、晴子の夫と子供たちが帰ってきた。
「それじゃ、今日は帰るわ」
そう言って、久美子は立ち上がって、晴子の家族に会釈して外にでた。
思い出したように、振り返って、「今度、続きを聞かせてね。他の人も誘おうかしら」と言った。
「そうね。議会も昨日終わったばかりで、議事録なんかは、暫くしないとできないから」
見送りに出てきた晴子は、そう言いながら手を振った。

9.

「遅くなってごめん。義理の母の帰りが少し遅れたのよ」
洋風居酒屋に入ってきた晴子は、先に来ていた久美子たちに謝った。
10月の最初の金曜日、北本駅の西口にあるライムライトという名の居酒屋に、晴子のPTA仲間の3人が集まっていた。
皆、小学校高学年や中学生の子がいて、夫や祖母たちに面倒を頼める時だけ、女子会が開催できる。
「遅れて、ちょうど良かったわ。この前までの話ができたから」
久美子はそう言って、晴子の飲み物を確認して注文した。
「ねえ、早速だけど、そもそも、市長ってどんな人?」
もう、ハイボールの2杯目を飲みながら、峰岸由貴子が尋ねた。
由貴子は、夫の実家が北本だったことから、上の子が幼稚園から小学校に上がる年に、県南から引っ越してきた。地元のことには疎かった。
「そうね。鹿児島出身で、年齢は71だったかしら」
晴子は、気乗りしない顔をしながら、話はじめた。
堂本昭夫は、鹿児島市の近くの町で生まれ、薩摩実業高校を卒業をして、東京都庁に技術職で入庁した。
結婚を契機に、ベッドタウンである北本市に移り住んだ。北本で2男1女が生まれ、子ども会や少年野球の応援など、子どもを通じて、地域活動に関わった。
勤務を続けながら、子ども会連合会の会長を引き受け、平成15年に56歳で早期退職して、市議会議員になった。
学歴詐称は、この最初の選挙の時に犯してしまったことである。その後の2回の市議会議員選挙と平成27年の市長選のプロフィルは、薩摩実業高校卒業か放送大学中退と記されていた。
「奥さんの存在は大きかったと思うわ」
近くに住む久美子が口を挟んだ。
3人の子どもがいて、堂本の妻は子ども会やPTAで、懸命に汗を流していたという。
久美子に言わせれば、市議会議員選挙の得票の半分は妻の票ということになる。
「私が聞いた話では、堂本市長の祖父が、鹿児島で町長や県議会議員をしていた人だったそうよ。うちの旦那が言うには、その影響で、北本に越してきてすぐに、市議会議員になるための活動を始めたんだって」
地元で酒屋をしている新井路子が情報を提供した。
「なるほどね」と3人は深く頷いた。

10.

「堂本市長のことは少しわかったけど、辞職勧告の請願を出した須永さんって、どんな人なの?。路子さん、旦那がすごい情報源みたいだから、知っているんじゃないの?」
由貴子が、ハイボール3杯目を注文しながら、新井路子に水を向けた。
「そうね。晴子さんも知っていると思うけど、年齢は65くらい、元々は市職員だったそうよ」
指名されて、路子は話始めた。
須永一彦は、横浜で育ったが、叔父が北本市に移り住んでいたので、北本市役所の採用試験を受けて、トップの成績で入庁した。
実は、70年安保闘争の世代であり、高校時代から学生運動では名を馳せた人間だった。
本人が言うには、北本市には公安的な調査能力がなかったので、採用されたということである。
数年勤めて、市議会議員に当選して、1期だけ議員を務めた。
「えっ、市議会議員だったの。知らなかったわ」
久美子は驚いて言った。
「もう40年近く経つから、私たちは生まれたばかりだったかな。あれ、そうでない人もいたかしら。ユニークで、するどく切り込む議員だったそうよ」
路子はそう言って、話を続けた。
須永は、1期目は選挙のアヤもあって、少ない得票でも当選したが、再選はできなかった。
選挙では、「電信柱にも頭を下げろ」と言われるが、須永には無闇に頭を下げることが、性格的に無理だった。
その後、自動車のディーラーなどをしていたが、最近では、偶然知り合いになった障害者支援NPOを手伝っている。
「うちの旦那も福祉系の仕事をしているんだけど、仕事の内容はどんなことなの?」
峰岸由貴子が興味を示した。
「身体障害や知的障害の子どもたちが、病院や通所サービスに通う時の送迎だそうよ。本人は、ギャラは安すぎるけど、子どもたちの無邪気な笑顔をみてると、やめられないと、言ってるそうよ」
新井路子は、旦那から聞いた話を披露した。
「なんか、いい人みたいね」
久美子は興味を示した。
「基本的に、理屈が通らないことが嫌いで、誰にでも議論を吹っかけるんだって。ああ、それから、6年半前の東日本大震災の時に、友人からカンパしてもらったサツマイモを何百キロも、自腹を切ってトラックを借りて、独りで運転して、被災地に届けたんだって。それで、本人は、立派な偽善者だろ、と言っているそうよ。テレよね」
路子は、さらに須永のエピソードを話した。
「愛すべき偽善者よね。誰もができることじゃないわ」
久美子はそう言って、深く頷いた。
路子の話を受けて、晴子が、須永が請願人になった背景を説明した。
元市職員だったこともあり、職員OBや現職の職員との飲みニケーションの機会も多く、いろいろな情報が入るということのようである。

11.

「久美子さんから、概略は聞いたんだけど、私は、えーと、常任委員会がどんなことをしたのか知りたいわ。実はね、委員長の矢澤美香議員とは顔見知りなのよ」
峰岸由貴子が、話題を代えた。
「聞かれると思って、少し調べてきたわ」
晴子はノートに自分で書いたメモを見ながら話始めた。
9月議会が終わって10日ほど経つので、議事録のテープ起こしなども進んでいたのである。
「6月13日午前9時から総務文教常任委員会が開かれ、最初の日程として請願に関する審査が行われたのよね」
最初に、紹介議員の高木から、請願趣旨と請願事項が述べられ、請願人本人からの補足の陳述が行われた。
「書類だけの審査じゃないのね。須永さんがプレゼンしたわけね」
須永贔屓になった久美子が口を挟んだ。
2年前までは、委員会審査に請願人は招聘されていなかった。紹介議員が請願人と蜜に話をして、代理に質疑に応えることになっていた。
しかし、開かれた議会として、市民が直接意見を述べて、議員と質疑応答すべきであるという考え方が大勢を占めるようになった。その結果、請願審査のルールを改定し、請願人本人から10分の意見陳述を受け、必要に応じて質疑応答を行うことになった。
「そもそも、請願なんて知らなかったけど、議会自体も改革なのか、変化しているのね」
「いいことじゃないの」
「透明化が進んでいるということよね」
3人が口々に請願審査方法の変更について意見を述べた。
須永は、請願提出時には明らかになっていなかった、質問状への回答を披露して、コメントを加えた。
結論から言えば、放送大学に在籍したことはあるが、卒業も修了もしていない。それにも拘わらず、埼玉新聞の最終学歴には、放送大学となっていた。
議会事務局に保管されていた「履歴事項」の「最終学歴」欄には、「放送大学教養学部」となっていた。これは、平成15年だけでなく、19年も23年同様であった。
「ちょっと待って、議会事務局に残っている履歴事項は、当選した3回ともなの?。それって、2回目で変えると、最初と比べられて気付かれてしまうからってこと?」
久美子は興奮気味に言った。
「当然、3回目もよね」
「確信犯ってことよね」
由貴子も路子も呆れてしまった。

12.

「議会事務局の履歴事項については、誤記だったとしている。この前、久美子さんも言ったように、須永さんも、意図したかしなかったかを調べるべきだと言っているわ」
晴子は、もう少し話を聞いてから、意見を言ってと態度で示した。
学習実態があったのか、各年度発行される履修状況票があれば明らかになる。公人である市議会議員は、この程度は公開すべきではないかと、須永は述べていた。
常任委員会からの質疑として、最初に、議会への請願とした理由が質された。
須永はこのように答えていた。
「市長は、市民への説明責任を果たすべきであることは言うまでもないことです。一方、二元代表制の一翼であり、市政へのチェック機能を果たすべき議会は、このことを調査し、政治倫理を具現化して欲しいと思います。
議会の決議を求める請願としたのは、議会の軽重を問うためです」
請願人と紹介議員は、意見陳述の締めくくりとして、委員会への要望を述べた。
多くの請願審査は、一日で結論を出してしまいがちであるが、この請願については、市長本人からの反論や、委員会独自の視点による調査を行い、議員間での議論をして欲しいというものであった。
「今の話を聞いていると、議会は自分たちの調査などはしないで、請願書と請願人と紹介議員からの話で、採択するかどうかを決めているということ?」
久美子がそう尋ねると、晴子は表情を曇らせてこう答えた。
「単純な請願はそれでいいのかも知れないけど、難しい請願は良くないでしょうね。それは、予算案など、市長が提案する議案についても言えることなんだけど」
独自に調査するためには、事務局の拡充や調査の外注費などが必要になる。
北本市の場合で言えば、市長には400人のスタッフがいるが、議会には7人しかいない。
政務活動費として、視察や資料購入のための経費が支給されているが、議員一人当たり、月額2万円、年額で24万円にしかならない。
「でも、今回の請願審査はこれまでと違っていたのよ。議会改革の一つの始まりとも言えるかも」
久美子が言うには、継続審査として、本来議会休会中に委員会を開催したこと、新聞社への文書による調査も行ったことなど、初めての試みが行われたのである。

13.

「委員会に、堂本市長を喚問したということ?。本人は承諾したの?」
峰岸由貴子が尋ねると、他の二人も身を乗り出してきた。
年度予算の審査がある3月議会と、年度決算の審査がある9月議会は、委員会が2日、延長して3日行われることもあるが、6月と12月は、委員会は1日で終了することが多い。
しかし、この請願審査のために、議会日程の合間を縫って、3回の委員会を開催した。堂本市長を喚問したのは最後の3回目であった。
堂本市長は、最初に、悪質なビラに大変迷惑している、妻は体調を壊し、点滴を打っている、子どもや孫たちも嫌な思いをしていると、話始めた。
「奥さんは、色白で細い人なのよ。体調を崩すかも知れないわ」
近所に住む久美子は、度々顔を合せていた。
「でも、冷たい言い方だけど、奥さんは事実を最初から知っていて、良心の呵責に、ずっと耐えていたのじゃないの?。明るみに出ないことを願っていたのに、暴露されてしまったということよね」
かなり酔いが回ってきた由貴子が、検察官的な性格を垣間見せた。
「うちの旦那も、そんなことを言っていたわ。皆さん知ってると思うけど、選挙の時に、夫婦で駅前に立っているでしょ。国会議員なら良くあるパフォーマンスだけど、市議会議員では彼だけよね。うちの旦那が言うには、普段、家で上さんに冷たくされている男たちにとっては、印象に残るそうよ」
路子は、夫唱婦随の効果について、夫の見解を述べた。
「常任委員の人たちの同情を引く作戦から入ったのね。それで、委員からはどんな質問があったの?」
こう由貴子に促されて、晴子はメモを見た。
まず、正しい最終学歴は何かと問われて、「薩摩実業高校卒業」と答えている。
新聞社の調査票には、最終学歴をどのように記載したかについては、一貫して「放送大学中退」と書いていたと答弁している。
もっとも、中退を学歴と認めているのは、埼玉新聞社だけであり、他の新聞社は「薩摩実業高校」を最終学歴としていた。

14.

「実際には、このチラシにあるように、埼玉新聞には、中退がない、放送大学になっていることについては、何て答弁しているの?。そういう質問も出たんでしょ」
久美子は当然の疑問を口にした。
「新聞社が間違えたと思うと答弁しているようね。それで、すぐに新聞社に訂正を求めるべきだったのではないかと質問があって、見ていないと答弁してるわ」
晴子がこう言うと、3人から「うそ」という声が上がった。
「初めての選挙だったんでしょ。新聞に掲載されれば見るわよね」
久美子はそう言って、他の二人に同意を求めた。「そうね。本人が見逃しても、少なくとも家族や支持者が見せに来ると思うわ」
路子も、見ないはずはないと思った。
「市長って、そういうミエミエの嘘をつく人なの?」
由貴子は呆れながら、晴子に尋ねた。
「私の口からそうだとは言えないわよ。一番上の上司なんだから。あら、今は議会事務局の職員だから、議長がそうだったかしら」
晴子はそう言って、話を続けた。
埼玉新聞のミスであったかどうかについては、埼玉新聞社の女性記者が激昂していたという話を、晴子は人から聞いている。
女性記者は、「何人の人間が、何回チェックしていると思っているの。ミスするわけはないじゃない」と憤慨していたそうである。
その記者は、学歴詐称を糾弾するチラシを入手し、辞職勧告請願が出るという情報を得て、市長に取材を申し込んだそうである。
彼女は、あまり好意的な記事を書かない新聞社なので、取材は受けないと思っていたが、OKがでたので、驚いたという。
その際に、話の流れから。当時の調査票は見つからなかったと、正直に話してしまったという。
「それで、証人喚問の時に、市長は強気だったわけね。証拠がないから」
由貴子はそこまて言って、思い出した。
「あら、調査票は見つかったのよね?」
総務文教常任委員会は、継続審査の中で、新聞社への文書質問を行っている。
調査票が存在するかという質問に、2社から、「存在する」という回答が来た。写しを提出できるかという問いには、2社とも「できない」という回答であった。
調査票は、記事にするためのデータとして、任意に提出されたもので、内部資料であり、外部には出せないということであった。

15.

「そうすると、証拠はないということになるの?」
由貴子はため息をつきながら尋ねた。
「1社の回答には、記載内容についての記述が添えられていて、放送大学中退ではなく、放送大学であったということよ。それに、堂本市長の了解があれば、コピーを提出できるとも書かれていたそうよ」
晴子がそう言うと、空かさず「委員会で、市長に了解を求めたんでしょ?」と由貴子が言った。
「委員会は、調査結果を元に委員間で議論をして、再び市長喚問をしたのよ。その時に、成績表の提出と、新聞社から調査票コピー提出の了解を求めたけど」
晴子はそこまで言って、一息入れた。その先は、皆、聞かなくてもわかったのである。
「ねえ、議会事務局にあった履歴事項に関しては、どのような答弁だったの?。誤記とか言っていたけど」
久美子が話題を変えた。
「欄が狭かったから、中退と書けなかったと答弁したようよ。欄外にでも書いておけば良かったって」
晴子は、白けた口調でそう言った。
「小学生以下の言い訳よね」
由貴子は吐き捨てるように言った。
「うちの旦那が、このチラシを見て言ったんだけど、ねえ、これを良く見ると、確かに放送大学教養学部で、左右は一杯なんだけど、升目の上に着けて書いてあるので、下段に同じ文字数書けるのよね」
路子がそう言うと、3人してチラシを覗き込んだ。確かに、几帳面に升目の上一杯に書かれていて、まるまる1行が空欄になっていた。
この点は、何人かの委員も突っ込みを入れたようであるが、それには答弁がなかった。
「法律的にはどうなの?」
由貴子が尋ねた。
「選挙に関係する法律は、公職選挙法というのがあるんだけど、難しくてわからないわ。えーと、メモによると、第235条に、経歴などの虚偽記載についての罰則があるみたいね」
晴子は、メモを見ながら説明した。
事実と違った経歴などを選挙公報に記載した者は、2年以内の禁固刑がありうる。当選か落選かを問わずに罪になる。
今回の場合は、選挙公報ではなく、新聞社の編集記事であり、本人が作成する選挙公報には当たらない。
結論として、法律的にはセーフであるが、道義的な問題ということになる。

16.

「そう言えば、この前、晴子さんは、高木議員の演説が良かったとか話してなかったかしら」
久美子は気にかかっていたことを思い出したように尋ねた。
「演説と言えば演説なんだけど、議会では討論と言うのがあるのよ。まあ、簡単に言えば、議案や請願に対して、何故賛成なのか、何故反対なのかを論じることをいうのよ」
議会では、予算案や条例案、さらに請願などの採決をする前に、まず反対討論、次いで賛成討論を認める。
晴子は、高木の反対討論の内容を説明する前に、由貴子と路子のために請願についての説明をしておく必要があると思った。
「久美子さんには少し話したもとなんだけど、請願の基礎知識みたいなことを説明するわね」
晴子はこのように話始めた。
請願権として、憲法第16条に明記されているこの請願は、国民は誰でも、さらに言えば、外国人であっても受理される。
請願人の氏名と住所、請願趣旨と請願事項が記載された書類として作成される。
請願趣旨は、請願の背景や理由などが、文章で書かれている。請願事項は、箇条書きで書かれている。
議会での取り扱いは、採択、不採択、一部採択。趣旨採択の4つがある。
一部採択とは、請願事項が複数ある場合に、選択的に採択する場合である。また、趣旨採択とは、実質上の不採択であるが、請願人の顔を立てる方便と言える。逃げと言われてもしかたがない。
「今回の、辞職勧告決議を求める請願は、趣旨採択だったのよね。どんな手続きでそうなったの?」
由貴子が尋ねた。
「常任委員会で、審査を終結して、採決に入る直前に、委員の一人が、趣旨採択にすべきであるという動議を出したの。確か松山議員だったと思うけど」
晴子が話したように、松山議員が動議を出して、他の委員一人が動議に賛同したために、この動議は成立した。すぐに、提案者から提案説明が行われ、質疑応答があり、趣旨採択の賛否が採決された。
もし、趣旨採択が否決された場合は、元に戻って採択に賛成か反対かが採決される。
実際には、委員長は賛成する者の挙手を求め、過半数を超えれば採択となる。反対する者の挙手を求めることはしない。
賛否同数の場合だけ、委員長の投票権が生まれ、賛否が決せられる。
「議会の手続きって面倒なのね」
路子はため息をついた。

17.

高木議員の反対討論は、本会議での採決の直前に行われた。
「私の説明では、ニュアンスや臨場感が伝わらないと思うけど、私の感じたことを交えて話すわね」
晴子はそう言って説明を始めた。
高木は、前市長の強権政治に反対して、2年前の選挙では、堂本候補を応援した。
堂本市長は、就任後,大小様々な判断ミスを繰り返したが、議会では市長を弁護する発言をしていた。
4月の段階では、市長と会食をして、市政に対しての助言もしていたと話し始めた。
しかし、実直で誠実な人間だと思っていた堂本が、学歴詐称をした疑惑が持ち上がり、信憑性が高くなるにつれ、応援していた自分が引導を渡すべきだと考えた。辛い選択であった。
「応援していた側の人だったのね。泣いて馬しょくを斬るということかしら」
由貴子は、中国の故事を持ち出した。
「その例えはよくわからないけど、責任の取り方だと考えたのね」
晴子はそう答えて、説明を続けた。
高木は、放送大学を学歴詐称の道具に使ったことを悲しんだ。
「私も、その時に初めて知ったのだけど、学歴で人の価値が決められてしまう学歴社会の弊害を是正するために、放送大学という仕組みが創設されたと、高木さんは言うのよ」
晴子はメモを見ながら、高木が討論した学歴社会と生涯学習について語った。
ユネスコの会議で、時代の流れが加速して、学校教育を修了した人々が新しい知識や技術から取り残されていると指摘された。そのため、生涯に亘る教育の仕組みが必要であるとされ、生涯教育が世界に広まった。50年前のことであった。
日本では、30年前に生涯教育から、本人の主体性の強い生涯学習という考え方に変化した。
「生涯学習って、そういう時代背景があったのね。知らなかったわ」
久美子がそう言って、他の二人も頷いた。
その頃、中曽根首相が、臨時教育審議会を設置して、21世紀に向けての日本の教育改革に取り組んだ。
それまで、文部大臣の諮問機関である中央教育審議会が教育制度の見直しをしてきたが、臨時教育審議会は、もう一段高い首相の諮問機関として、4年間の活動を行った。
一般的に、審議会という制度は、諮問という形で、検討していただくテーマを文部大臣や首相がお願いし、答申という形で報告書を出される。
「この審議会は4回答申を出しているそうなんだけど、第1回目の最初のタイトルが、学歴社会の弊害の是正に向けて、だったそうなの」
晴子は、一息ついて、3杯目のジンライムで喉を潤した。

18.

この答申で、生涯学習社会への移行が必要だと主張さている。
生涯学習社会とは、学歴社会の弊害を是正して、人生のいかなる時にも学習する機会が与えられ、学習の成果が正当に評価される社会のことである。
「私がこれを聞いて思ったのは、人は、経済的な理由や家庭環境で、大学などに進学できないことがある。極端に言えば、そこで運命が決められてしまう。就職も、結婚も影響を受けてしまう。それが、学歴社会の弊害よね」
晴子がこう言って、同意を求めた。
「うちみたいに商売をやっていると、そうでもないけど、後を継がない子どもたちのことを考えると、学歴社会の考え方に染まっちゃうかも」
路子が珍しく発言した。
「だから、一度社会にでても、学校に戻れる仕組みを充実させる必要があるというのが、生涯学習社会の目指すものよね。
キャッチフレーズとして、学歴社会から学習暦社会へ、というそうよ。そして、働きながらでも学習する機会を提供しているのか放送大学という制度なのよ」
高木は、学歴詐称も学歴社会が生み出した弊害のなせる業ではないか、それが、選りにも選って、放送大学が使われてしまったことを嘆いた。
放送大学で、真面目に勉強して、卒業した人たちに、どれほど失礼であるか、堂本市長は感じているのであろうか。
実は、高木の妻が放送大学で心理学専攻課程を履修し、卒業しているという。
平成元年から6年かけての卒業であった。当時、子育てと看護師としての勤務の中、学習を続けたのである。
高木の妻の世代は、看護学校は高校を卒業して3年間の専門学校であり、ギッシリと詰まったカリキュラムが組まれ、最終的には国家試験に合格しなければならない。
4年制大学以上に厳しいカリキュラムにも拘わらず、学歴としては短大卒扱いである。
彼女は、看護師としての専門技術を持ち、大学病院の看護学校で、小児科の講師も勤める力があった。しかし、管理職として、患者やスタッフとの対人コミュニケーション能力を高めるための受講であった。
高木は、彼女の努力に頭が下がったと述べている。
「高木さんは、すぐそばに放送大学で学んだ人をみていたから、なおさら許せなかったということね」
久美子が深く頷きながらそう言った。

19.

「ねえ、どうして、人間として、軽蔑すべき人が市長なんかになちゃうの?」
かなり出来上がってしまった由貴子が大きな声を上げた。
「うちの旦那が言うには、今の選挙の仕組みが、立派な人が、市長や市議会議員に出てこれない仕組みになっていると言うのよ。俺が俺がという人が立候補して、本当に相応しい人が出てこないんだって」
路子が選挙制度の欠陥を指摘した。
「私たちは市の職員だから、行政や政治のことを目の当たりにしているけど、普通の市民は、仕事のこととか、家事や育児とか、趣味とか、自分のことで忙しいのよ。その時間を割いて、行政や政治の仕組みを知る努力を
しろとは言えないわ」
晴子が弁解するようにこう言った。
「でもね。そこに付け込んで、政治屋みたいな輩が、好き勝手にやっているんじゃないの?」
由貴子が、諦めの表情を浮かべて言った。
「そうだ。言い忘れたけど、高木さんは市長と市職員にこう問いかけたのよ」
15年前に学歴詐称をしてしまった堂本市長には哀れみを覚える。学歴社会の弊害の犠牲者かも知れない。
しかし、その後の嘘の上塗りは、人間として許されないことではないか。市の職員にしても、市長と話すたびに学歴詐称をして、見苦しく、嘘を重ねた人間であると思いながら仕事をしなければならない。市長が職に留まる限り続く地獄絵図である。
「皆が言うように、市長はとんでもない人間で、毅然たる態度を取れない議会も問題だけど、私は希望が残っていると思うわ。請願人の須永さんは素敵な人だし。紹介議員の高木さんは、純粋で考えが深い人のように思う。何よりも、少なくとも二人はこの世界を諦めていないような気がする。
私たちも諦めたら駄目よね」
久美子の言葉に、三人は深く頷いていた。

20.

10月半ばの土曜日に、峰岸由紀子からランチの誘いがあり、小山晴子、やはり隠れ家的な山形ラーメンの店を選んだ。
女子会の翌週、晴子は、議会運営委員会の県外行政視察の随行で三重県に出張した。
議会には、常任委員会の他に、議会運営委員会を置くことが、地方自治法に規定されている。
北本市の場合は、各会派から1名、大きな会派からは2名が委員になり、8名で構成されている。
「議会事務局の仕事も大変ね。旅行の添乗員みたいなこともするのね」
由紀子は、晴子から行政視察の話を聞いて、同情した。
おそらく、変な人ばかりの議員たちとの道中は、幼稚園の引率より大変に違いない。
「今日誘ったのは、この前のことを謝ろうと思って」
由紀子は、女子会の時に、かなり飲んでいたので、過激な発言をして、晴子に嫌な思いをさせたと思ったのである。
晴子はそんなことはないと否定した。
「それならいいんだけど」
由紀子は安心して、運ばれてきたラーメンを、二人して食べ始めた。
「ところで、子どもたちから聞いているかしら」
由紀子は、麺を口に運びながら尋ねた。
「えっ、何のこと?」
晴子は、顔を上げて、聞き返した。
「小学校でね、嘘つきは市長の始まりという言葉が流行だしたんだって」
由紀子の言葉に、晴子は絶句してしまった。