1.
「人口ピラミッドの3市比較ですか?」
北本市総合政策部政策推進課の新田正紀は、高木聡市議会議員から、市政に対する一般質問に関して、ヒヤリングを行っていた。
「そう、両隣りの桶川市と鴻巣市と比較してみたい。違いがあるのかないのかを知りたい。大変かな?」
高木は、多少申し訳なさそうな顔をしながら訊ねた。
「そうですね。そこそこ作業時間が必要だと思います」
新田は正直に答えた。
「それでも、お願いできないかな? 現状を分析することは重要だと思うんだよね」
高木は食い下がった。
平成25年第3回定例議会は、8月29日に開会された。初日はかなりセレモニー的であり、市長からの議案が提出され、概要の説明が行われる。その日は質疑は行われず、解散となる。そして、翌日から3日間、議案調査が行われる。
議会の大きな流れとしては、議案調査の後に3つの常任委員会に分かれて、審査が行われる。その後、一般質問が行われ、事務処理のための休会を挟んで、最終日に全体による本会議で、議案が採決される。
議案調査の3日間は、会期日程の2、3、4日目と位置づけられるが、日程内容としては「議案調査のため休会」と表記される。
北本市議会の場合は、基本的に会派別に、かつ各部毎に質疑応答のためのセッションを持つ。当時、6つの会派があり、部も6つあったので、過不足なく時間割表が組まれた。
多くの市町村が、このように休会としながらも、実質議会が開催されているに等しい状況になる。しかし、中には、議案調査は議員が個別に執行部の担当者と行う方法をとる場合もある。
さて、新田がヒヤリングを行っている一般質問はどのようなものか、ほとんどの市民が知らないと思われる。
市町村の議会は、基本的に受動的な組織である。つまり、市長と執行部が政策・施策を立案して、予算とともに議会の承認を求めてくる。議会は、政策・施策と予算の正しさ、あるいは妥当性を審査・審議して、可否を判断する。
しかし、それだけでは、市長と執行部が提出してこない分野は、議論されないことになる。一般質問は、議案として提出されていない分野についても、自由に質問することが許されている。ある意味、個々の議員にとって、質問の切り口の良さと、パフォーマンスの見せ場である。
2.
「問取りだったの?」
新田が席に戻る途中で、入庁同期の山田和也から声を掛けられた。
「ああ、高木議員からのヒヤリング」
新田は浮かぬ顔でそう応えた。
市政全般に対して、制限を設けず、自由に質問することは議員の権利である。年4回の定例会の際、開会日までに、通告書の提出が行われる。
この一般質問通告書に関して、当人にその意図を確認するヒヤリングは、「質問」の「問」と、「取材」の「取」を組み合わせて「もんとり」と呼ばれる。
山田和也はその年度から、福祉部障がい福祉課に所属していた。実は2年半後に、議会事務局に異動となり、高木議員と深く関わることになるのであるが、この時点では知る由もなかった。
「独りで問取りしたんだね。僕のところは、課長と二人で行くけれど、そっちは独りが普通なの?」
山田は多少尊敬の眼差しで訊ねた。
「刑事の捜査じゃないけど、二人で行くのが原則だけど、今回は、うちの課に質問が集中して、分担したんだよ」
新田は、先程同様浮かない顔をして応えた。
一般質問は、本会議場で行われ、議員は、所謂、正面中央の演台に登壇して、第一回目の質問を行う。議員が自席に戻ると、執行部からの答弁が行われる。
本会議場に出席しているのは、部長職以上の管理職であり、質問の内容によって、市長、副市長、総合政策部や福祉部などの部長、場合によっては、部長と同格の会計管理者が答弁する。
しかし、実際の答弁書の作成は、中堅の職員が行う。
「そもそも、北本市の場合、一般質問をする議員が多すぎるって言われているよね」
山田がそう言うと、新田も頷いた。
北本市には20人の議員がいて、多いときは、議長を除く19人が一般質問する。少ない場合でも15人を下らない。
確かなことはわからないが、過半数を超えていれば、平均的な議会であろう。
一般質問は、大きな項目を「件名」、小項目を「要旨」と呼ぶ。1議員当たり、平均4件名、全体では80件名近くになる。北本市には当時6つの部があったが、集中する部の場合、20件名に対応しなければならない。
今回は、総合政策部と市民経済部に集中していた。
9月議会の高木議員の場合、件名は2つと少ないが、要旨としては6つあった。
3.
「あら、山田君じゃない。そっちは、えーと、新田君だっけ?」
先程の流れで、新田と山田が市役所近くのイタ飯屋コラソンで昼食を食べていると、北本中学時代の同級生の大沢ゆかりが、店に入るなり、声をかけてきた。
大沢ゆかりは、一応、同席していいかを確認して、その日のパスタ、カルボナーラを注文した。
「パスタは、カルボナーラが基本よね。後で、ホットコーヒーをお願いします。あれ、新田君、暗い顔してるわね」
彼女は、瞬時にこの会合の主導権を握っていた。
山田が、議会が始まり、新田が一般質問のヒヤリングをして、高木議員からの依頼に苦慮していることを説明した。
「もうすぐ、ホームページにも公開されるから見せるけど、これが高木議員の一般質問」
山田はそう言って、一般質問の綴りの高木議員のページを開いて見せた。
1 北本市の人口について(市長)
(1)総合振興計画の人口モデルと実態について
(2)人口ピラミッドの変化について
(3)この10年の人口増加策とその成果について
(4)今後の展望について
2 北本市の産業振興策について
(1)この10年の主な産業振興策とその成果について
(2)今後の展望について
「これが高木議員の一般質問なの?」
大沢ゆかりはそう言って、その一般質問通告を凝視した。
「1件目の最後の(市長)は、市長に答えて欲しいということ? 他のにはないけど。それと、総合振興計画が何かわからないわね。簡単に教えてくれる?」
二人のどちらが答えてくれるのかと、大沢ゆかりは、交互に二人の顔を見つめた。
山田は新田に目配せして、質問に答えた。
高木議員の一般質問1件目は、彼女が想像したように、市長に答えて欲しいという意味である。他の件名は、答弁者、つまり質問に答える者を指定していない。市長や副市長が答えてもいいが、概ね、担当部長が答弁をすることになる。勿論、結論は市長が答弁し、詳細について部長が答弁することもある。
4.
「総合振興計画の説明は難しいよな。新田君から説明してもらう方が」
山田はそう言って、新田の顔を見た。
「うーん。難しいね。そうだ、大沢さん、食事の後、少し時間がある?」
新田は何か思いついたようである。
大沢ゆかりは、「大丈夫よ」と答えた。
3人は、食事を少し早めに切り上げて、コラソンから市役所に戻った。
平成25年9月当時は、北本市の市庁舎は築40年を超えていて、県内でも2番目に古い庁舎であった。
その庁舎の2階に、3坪ほどの市政情報コーナーなるものがあり、3つの大きな書架と、幾つかのテーブルが置かれていた。書架には、予算書、決算書、市政概要、各種計画書などが閲覧できるように並べられていた。
「このコーナーがあることは知ってたけど、資料を手にするのは初めて」
と、大沢ゆかりは、子どものようにはしゃいでいた。
新田は、総合振興計画を実際に見てもらうのが早いと考えて、市政情報コーナーにつれてきたわけである。
新田が、すぐに書架から、総合振興計画を取り出し、テーブルの上に広げてみせると、「あら、表紙はカラー印刷なの?」と、ゆかりは、パラパラと何ページかめくってみた。
多くの資料が、白黒印刷であるのに、総合振興計画の表紙はカラー印刷であり、本文の一部もカラーページがあった。
「北本市の最上位の計画だからね」
山田が、自慢するように言ったので、ゆかりは笑ってしまった。
総合振興計画は、長期的な展望に基づいて、まちづくりの目標を示すためのものである。また、市政を総合的、計画的に運営するために、各行政分野における計画や事業の指針を明らかにするものであり、市政運営の最も基本となる計画である。
「あら、第四次って、タイトルにあるわね。ということは?」
そう言って、ゆかりは新田の顔を見た。
「そのとおり、えーと、計算すると今から36年前に第一次総合振興計画が作成され、これは、8年計画だった。その後、10年毎に改定されてきている。今年度は、第四次の8年目と言うことだね」
新田がそう説明すると、山田が書架の、第一次から第三次までの総合振興計画の場所を示した。
5.
「総合振興計画は、国が地方自治法という法律で、市町村に作成を義務付けたことによって、早い自治体は40年以上前から、基本的に10年単位の行政計画が作成されることになったんだ」
新田が、説明を始めると、大沢ゆかりは「悪いけど、どの法律に基づくかは、言われてもわからないわ」と、新田を遮って言った。
新田は、暫く考えてから、かなり簡略化して話すことにした。
要するに、国は、小さな市町村の行政や議員たちの能力は低いので、中期計画作成を強制しないと、行き当たりバッタリの行政運営をしてしまうと心配したわけである。
「馬鹿にされて悔しいけれど、あたっているかも」
山田は自嘲気味に言った。
3人が話題にしている、第四次北本市総合振興計画は、前期計画と後期計画の2分冊になっていて、前期が平成18年度から22年度、後期が平成23年度から27年度を対象年度としていた。
体裁としては、どちらもA4判で150ページ、平綴じという製本である。
「全部を理解するのは大変よね。私が総合振興計画のことを聞いたのは、さっき見せてもらった高木議員の一般質問に、総合振興計画の人口モデルという部分があったので、そこが知りたかったのよ」
大沢ゆかりがそう言うと、新田は大きく頷いて、話し始めた。
市町村は、小中学校や公民館などの建設と維持管理を行っている。また、道路や公園、上下水道などの社会インフラも同様に、建設や維持管理を行っている。
その際に、どのような速度で人口が増加するのか、あるいは減少するのかに応じて、事業の規模やスケジュールを考えていかなければならない。
「なるほど、言われてみるとそうよね。でも、学校や公民館なんかも、10年先じゃなくて、30年とか、40年とか先のことを考えなければだめじゃないの?」
大沢ゆかりにそう言われて、「その通りだね」と、山田は頷いた。
「土地に関しては、市全体のゾーニングなんかを、30年単位で盛り込んでいるけど、人口は確かに、大沢さんが言うとおりだね」
新田はそう言って、将来の人口のページを開いて見せた。
6.
「ここにあるグラフでは、総合振興計画の最後の年の人口が、少しだけ7万人を割るようになっているわね。それに対して、えーと、目標人口は、71,000人で、最初の年の人口を維持するとしているのね」
大沢ゆかりが言うように、そのページには、平成2年から27年までの25年間の総人口のグラフが掲載されていた。
皮肉なことに、人口は平成2年から平成16年まで増加し、第四次総合振興計画の3年目の平成20年をピークに、10年間に1,000人以上減少する予測であった。
「もしかして、もっと減ってない?」
大沢ゆかりは、総合振興計画から上体を起こして、新田に訊ねた。
新田は、渋い顔をして頷いた。
大沢ゆかりが気付いたように、「広報きたもと」で発表された、総人口の最新の数値では、すでに69,000人を割り込んでいた。
総合振興計画終了時点から、2年半前の段階で、目標値から2,000人以上、。予測グラフからも1,000人以上も下回っていたのである。
「昼休みが終わるので、僕は戻るけど、新田君はもう少しいいんじゃない。市民の質問に答えているわけだし」
山田はそう言って、自席に戻っていった。
「あら、もうそんな時間? でも、総合振興計画が何で、高木議員が、なぜ、総合振興計画と人口モデルについて質問したのか、大体わかった気がする。一般質問って、傍聴できるのよね。聞いてみようかしら」
大沢ゆかりがそう言って立ち上がったので、新田も立ち上がって、議会事務局へゆかりを案内した。
大沢ゆかりと話したことで、新田は、高木議員の今回の質問は、極めて重要なことであることに気付いた。
7.
「ぱっと見、3市ともほとんど変わらないね。瓜二つならぬ、瓜三つというところだね」
高木は、新田から渡された、鴻巣市、桶川市、北本市の人口ピラミッドのグラフを凝視していた。
3市は、JR高崎線沿線の隣り合った市で東京に近い順に桶川市、北本市、鴻巣市と並んでいる。3市ともベッドタウンであり、住民の同質性が高い地域であった。
さて、全国的に知られているわけではないが、高崎線は、東京の上野から群馬県の高崎まで約100キロの大幹線であり、東海道線に次ぐ歴史がある。
国鉄民営化の時点で、大きな黒字を出していたのは、新幹線、山手線、高崎線の3路線であったことは、広く知られている。
さて、定番の人口ピラミッドは、男女それぞれ、5歳毎に括り、横棒グラフを左右対称に配置したグラフである。若い国の場合は、ピラミッドを横から見たような三角形になるので、この名前が付けられている。
しかし、近年の日本では、頂点から団塊の世代までを切り取ればピラミッドになるが、その下の世代は、逆にすぼまり、団塊ジュニアと呼ばれる世代で太くなり、その下はすぼまっている。もはや、人口ピラミッドとは呼べない形状である。
当時の埼玉県は、全国平均より若い県であり、人口ピラミッドも、少しはましかも知れない。
実は、平成25年9月の時点で、新田も高木も、少子高齢化による人口減少は、日本全体の傾向で、北本市が特に深刻であるとは思っていなかった。3市比較した人口ピラミッドも一見差がないように思われた。
2人が、桶川市、鴻巣市に比べて、北本市の人口ピラミッドが微妙に異なっていることに気付いたのは、9月議会が終了してからであった。
「それにしても、後2年半を残しているとはいえ、第四次総合振興計画で目標にした、71,000人の維持はできなかったよね」
高木は、人口モデルが絵に描いた餅だったことを嘆いた。
「私が言ってはいけないことですが、人口増に繋がる政策・施策は、何もしてこなかったと言われてもしかたありません」
新田は、オフレコと言うべき、正直な感想をもらした。
8.
「件名1、要旨1についてお答え申し上げます。
市制施行以降、現在までの総合振興計画における推計人口と実際の人口推移の比較については、お手元の資料1にお示しのとおりでございます」
高木議員の、総合振興計画の人口モデルと実際の人口推移に関する一般質問に対して、岩崎雄一総合政策部長の答弁はこのように始まった。
8月28日に開会された、平成25年第3回定例議会は、議案調査、総括質疑、常任委員会審査に次いで、9月12日から一般質問が行われていた。曜日、休日の関係で、9月議会の日程は飛び飛びになる。高木議員の一般質問は、連休を挟んで、9月17日火曜日の午後1番となった。
一般質問は、午前中2人、午後3人の1日5人行われる。1人の持ち時間は、1時間、本人の発言と答弁を合わせた時間である。
簡潔な答弁が求められるが、簡潔すぎても誠意がないという印象がある。多少、その質問に関する前提や背景を加えての答弁となるが、時には、露骨な時間稼ぎと思われる答弁もある。
高木議員の質問は、現在進行中の10年計画である第四次総合振興計画における人口モデルと実際を質しているので、それ以前の総合振興計画に関する答弁は必要ない。しかし、議員も含めて、聴衆にとっては、価値ある情報提供とも言える。
「過去の総合振興計画を振り返ると、昭和61年度から平成7年度を計画期間とする第2次総合振興計画では、推計をわずかに上回る人口増加となりました」
示されたグラフからみると、確かに、北本市の総人口は、その時点で7万人にわずかに届かない、69,900人に達していた。
そもそも、昭和46年に市制施行した北本市は、かつては14カ村以上の村々からなり、昭和の前半に東の中丸村と西の石戸村に集約された後、最終的には、両村が合併して北本宿村になり、昭和33年に、町制施行により北本町となった歴史がある。
町の時代に人口が徐々に増加し、市制施行時点では33,000人を上回った。3万人を超えた最大の要因は、当時の住宅公団が、西南部に、戸数2,000の団地を建設したことにある。人口が約8,000人増加したのである。
当時、日本は高度経済成長の終盤にあり、直後のオイルショックを経て、安定成長時代を迎えようとしていた。
市制施行後に、北本市でも総合振興計画が策定され、第二次総合振興計画における人口推計は、結果的に的確なものと言えた。
9.
「一方で、平成8年度から平成17年度を計画期間とする第三次総合振興計画では、前期中期計画で平成17年の人口を86,400人と推計しましたが、人口増加が停滞しつつあったため、後期中期計画において74,000人に下方修正した経緯がございます」
この岩崎部長の答弁で明らかなことは、第三次総合振興計画においては、あまりに稚拙な推計を行い、推計人口と目標人口の大幅な数値変更を余儀なくされたということである。
さらに言えば、平成17年度末の実際の人口は、70,699人となり、下方修正した推計と目標よりも、さらに3,300人程度少ない結果であった。
ここまでを前提として、岩崎部長は、肝心の第四次総合振興計画に関わる答弁を始めた。
「平成17年度に策定した現在の第四次総合振興計画では、平成20年度末の71,000人弱をピークとしてその後減少に転じ、7万人を下回るという推計となりますが、現状維持を目標に71,000人としています」
つまり、国や県での、北本市の人口推計は7万人を下回るとしているが、現状維持を目標としたということである。
「これに対して実際の人口は、平成17年度末の70,699人から減少が続き、平成21年度末には7万人を下回りました。したがって、推計よりも3年早く減少に転じ、6年早く7万人を下回る結果となりました。なお、平成24年度末の人口は、推計では70,500人程度ですが、実際には68,740人であり、約1,700人少ない状況となっております」
新田正紀は、議会の委員会室で大型モニターを観ていた。
当時の議会には、本会議場の他に議員控室兼全員協議会室と、20人程度で会議ができる委員会室が2つあった。
その1つに、可動式の大型モニターが置かれ、本会議場の実況中継が映し出されていた。
基本的には、副部長や課長が陣取っている。その理由は、部長たちが答弁に窮して、立ち往生した場合を考えてのことである。
一応、下打ち合わせが行われているとは言え、議員によっては、故意にか、突然の思いつきか、想定外の質問をする場合がある。
そのような場合、部長たちは、休憩を議長に申請し、課長たちに助けを求めることになる。そのための待機であった。
新田は、課長の許しを得て、自分の作成した答弁書が機能しているかを見守っていたのである。
10.
「続きまして、要旨2についてお答え申し上げます。
本市及び桶川市、鴻巣市、そして埼玉県の5年ごとの人口ピラミッドは、お手元の資料2のとおりでございます」
岩崎部長は、新田が作成した人口ピラミッド図を示して、答弁を始めた。
作成してみて、3市比較では、明確な違いが見出せず、徒労に終わったという気持ちが強かった。
それでも、平成15年の1月1日の人口ピラミッドと、10年後の平成25年1月1日の人口ピラミッドとを比較することは意味があった。
つまり、団塊の世代と団塊ジュニア世代の2つのピークが、10年分上にシフトしていることが見て取れる。
総人口もさることながら、世代別人口構成にも注目すべきである。世代別に、北本市が提供すべきサービスが異なり、予算配分も異なるからである。
データによる事実は隠しようがなく、岩崎部長は、埼玉県平均から、北本市がどのように乖離しているかの説明を始めた。
「埼玉県のところで、ゼロ歳から39歳までの部分で端がちょっとはみ出ているような状況になってます。この実線のところが北本の実際の25年1月1日現在のものでございますので、埼玉県の方が若干はみ出てるということは、若い人が北本よりも多いという結果でございます。
同じく、今度は79歳からその下の55歳ぐらいまで、これについて白い枠が出ておりますが、これは、埼玉県の方がこの年代の割合が低いという結果で、ここが白くなってるわけでございます。
ですから、県よりも北本のほうが若い世代が低く、高齢者のほうが多いという北本市の特徴、若干ですが、このような形になっております」
岩崎部長は淡々とこのことを説明していたが、実は、極めて重要な事実を、初めて議会で発言していると、新田は感じていた。
少子高齢化による人口減少は、国全体の問題であり、北本市固有の問題ではないというのが、一般的な認識だったはずである。
しかし、埼玉県平均よりも、北本市の方が数値が悪いという答弁である。
さらに言えば、答弁には明確にされていなかったが、総人口のピーク前の平成15年には、おそらく、埼玉県平均より、北本市の方が良かったのではないだろうか。
高木の一般質問のために、データを作成し、答弁書の原案を書いた新田にはそう思えた。
11.
「続きまして、要旨3についてお答え申し上げます。
人口増加策につきましては、直接人口を増加させることを目的とした事業は行っておりませんが、保健医療の充実や子育て支援の充実、学校教育の充実、企業誘致や都市基盤の整備等の各種施策を実施し、魅力的なまちづくりを進めることが、人口維持、増加につながるものと考えています」
岩崎部長の答弁は、正直に言えば、北本市は、人口増加を目的として、政策・施策を立案するという姿勢がなかったと言っているに等しかった。
市民サービスとして、当然の政策・施策を、間接的な人口増加策と主張しているに過ぎなかった。
「続きまして、要旨4についてお答え申し上げます。
本市の人口に関する見通しといたしましては、人口の増加が想定されていたこれまでに比べ、日本全体、埼玉県全体としても人口減少が見込まれていることから、人口の増加や維持のための取組みはこれまで以上に難しくなるものと考えております」
新田は、この部分の答弁案を作成しながら、人口減少が見込まれたのは、今ではなく、10年前ではなかったかと感じていた。
岩崎部長の答弁は、首都圏の大環状線である圏央道、さらに、桶川北本間の新駅が建設されることによる人口増加に及んでいた。
圏央道は、正式には首都圏中央連絡自動車道であり、国交省のホームページには以下のように説明されている。
<都心から約40~60キロメートルを環状に連絡する全長約300キロメートルの高規格幹線道路であり、東名高速、中央道、関越道、東北道、常磐道、東関東道等の放射状に延びる高速道路や都心郊外の主要都市を連絡し、東京湾アクアライン、東京外かく環状道路などと一体となって首都圏の広域的な幹線道路網を形成している。>
厳密に言えば、北本市を通るのではなく、桶川市と北本市の市境を通過し、言わば、北本市をかすめて建設されている。
桶川北本間の新駅建設は、その当時、すでに30年以上の懸案事項であり、この9月議会において、12月15日実施の「新駅建設の是非を問う住民投票」条例が上程されていた。
*新駅の住民投票に関しては、別の機会に譲ります。
12.
「第三次総合振興計画の最初の推計人口が86,400人だったのには驚いたわ。実際には71,000人にしか達しなかったんだから、15,000人も誤差があったということでしょ?」
大沢ゆかりと新田は、北本市役所の北側に、道を挟んで建てられている北本市文化センターの、軽食喫茶パンダでコーヒーを飲んでいた。
議会が始まる数日前に、新田と会って、高木議員の一般質問に興味を持った大沢ゆかりは、初めて議会傍聴をしてみた。その日は、傍聴から10日ほど経っていた。
北本市文化センターは、30年ほど前に、北本中学校の校庭の南側を削って建設された。厳密に言えば、中央公民館と中央図書館の複合施設の名称である。
北本中学校は、県内でも有数の敷地を有していたので、4分の1ほど削られても。支障はなかったのである。
二人が、高木議員の人口問題に関する一般質問を話題しているところに、当人が現れた。
「新田さん、あの時はありがとう。手間をかけさせて申し訳なかった。いろいろ忙しくて、お礼も言ってなかったね。あれ、そちらは奥さん?」
高木が新田に礼を言い、同席している大沢ゆかりを彼の妻と間違えた。
新田が、中学時代の同級生であることを話すと、大沢ゆかりは、立ち上がって、自己紹介して、同席を勧めた。
高木は遠慮したが、大沢ゆかりが、訊ねたいことがあると言うので、新田の隣りに腰を降ろした。
「二人は、北中の同級生というわけね。実は、私も、卒業したのは北中なんですよ。お二人より、26年前の卒業ですかね」
高木は、暫く、北本市に移住してきた経緯を話した。
昭和の東京オリンピックの直後、ドーナツ化現象という東京からの人口流出時代に、高木議員の家族は北本に移り住んだ。市制施行の5年前、総人口は2万人を超えたばかりであった。
「高木さんにお聞きしたかったのは、第三次総合振興計画の推計人口を、当初86,400人としてましたよね?」
大沢ゆかりは、そう確認して、高木は「そうでしたね」と頷いた。
「新田君たちに教えてもらったのは、推計人口と目標人口は、公共施設の増設をするかどうかに関係してくるということですよね。実際には、期間中の10年で、人口は15,000人増ではなく、わずか1,000人しか増えなかったわけですよね。公共施設を建設し過ぎなかったんですか?」
13.
大沢ゆかりは、推計人口や目標人口にミスリードされ、公民館や学校が、過剰に増設されたのかを知りたかったのである。
「第三次総合振興計画は、平成8年から17年まで、西暦で言うと、えーと、1997年から2006年まで、正に20世紀と21世紀を跨ぐ10年間だったわけですね」
高木は、自分でそう言いながら、当時の記憶を検索しているようだった。
平成8年当時、高木は北本中学校のPTA会長をしていたという。OBとなった平成9年からは、まちづくり観光協会に誘われて、ホームページの内製化、つまり、それまでシステム会社へ外注していたものを、会員自らが作成・更新する方式に切り替える仕事をしていた。勿論、無償ボランティアである。
「昭和から平成にまたがった第二次総合振興計画では、当初の目標人口と結果が一致して、ほぼ7万人に達していました。立派なものです。ところが、第三次総合振興計画の、目標人口を、第二次総合振興計画期間に増加したのと同じく16,000人増加するとしてしまったわけです。あまりに安易でした」
平成8年から始まった第三次総合振興計画は、平成12年に、後期計画に向けて見直しが行われ、これも、あまりに大胆ではあったが、推計人口を86,400人から、74,000人に変更した。
実は、高木はまちづくり観光協会からの推薦により、見直しの市民検討会のメンバーであった。
「当時の記憶としては、人口推計じゃあまりに馬鹿馬鹿しくて、議論にならなかったと思います。むしろ、第三次総合振興計画が、インターネットの普及による時代の変化を、まったく想定していなかったことに憤慨していた記憶があります」
当時、パソコンOSのウインドウズ95が登場して、インターネット時代の幕開けを告げていた。事実、平成13年、西暦2001年には日本各地で、パソコン、インターネット入門のための「IT講習会」が開催された。内容は、ホームページの見方と電子メールの使い方であった。
「話を戻すと、大沢さんが心配した公共施設の作り過ぎは、多少あったかも知れませんが、致命的なものはなかったと思います。むしろ、現在進行中の小中学校の耐震・大規模改修をフルスケールで行っていることが問題ですね」
高木は、児童生徒が減少する予測の中、規模を縮小しないで改築が進行していることを危惧していた。
14.
「ちょっと、これを見てくれますか?」
大沢ゆかりは、先日の高木議員の一般質問の際に、議場と傍聴席に配布された人口ピラミッド図を取り出した。
「私、鴻巣市と北本市、桶川市と北本市を重ねて、透かしてみたんです。ここ、0-4歳のところを見てくれますか?」
大沢ゆかりに促されて、高木は2つのグラフを重ねて、外の明かりにかざしてみた。
「少しだけ、北本の方が凹んでいるでしょ?」
高木は頷き、資料を新田に手渡した。
「高木さん。これは、詳しく分析する必要がありそうですね」
新田は、少なくともこの5年間の3市の出生数と出生率を比較する必要があると思った。
それと、20代と30代の女性人口の推移も必要だと話した。
「それは、出産年齢の女性たちということ?」
高木に確認されて、新田、20歳から39歳までの女性の出産が、全体の95%を占めることを説明した。
「それと、結婚数の推移も調べてみるといいかも。だって、36歳の新田君も結婚していないし、北本は結婚しない人、増えているんじゃないかしら?」
大沢ゆかりは、結婚数の推移も調べるべきだと主張した。
「それにしても、大沢さん、よく発見しましたね。私は、この微妙な違いに気付かなかった。新田さんもでしょ?」
高木にそう言われて、新田は頷き、大沢ゆかりは、「まぐれです」と謙遜した。
このような三人の話し合いの結果、その年の最後の議会、平成25年第4回定例会において、高木は「出生数と出生率」に関して一般質問することになった。
「件名4出生数・出生率について。9月議会で人口ピラミッドについて質問させていただきましたが、人口シリーズの続きとして、出生数・出生率についてお伺いしたいと思います」
平成25年の12月9日の高木議員の一般質問の件名4はこのように始まった。
「平成24年度、北本の出生数は、500人を大きく割り込んだと認識しておりますが、ここ10年、どのような出生数の変化をたどっているのか。
それから、出生率というのは、女性が一生にという出生率もありますが、わかりやすく人口との比較で、北本市の人口比で何%出生しているかということで数字をいただければと思います」
15.
「件名4についてお答え申し上げます。近年、我が国におきましては、経済活動の停滞や都市化・核家族化の進行、夫婦共働き家庭の増加等により、子どもや子育て家庭を取り巻く環境は大きく変化してきております」
岩崎部長の答弁はこのように始まり、日本全体の「一人の女性が一生の間に産む子どもの平均数」である「合計特殊出生率」の推移などにも言及し、中々本題に入らなかった。
明らかに、高木議員はイライラしていた。
「北本市における出生数、出生率の過去10年の状況を申し上げますと、まず、出生数につきましては、平成15年には667人でしたが、それ以降減少が続き、平成24年では456人。このおおよそ10年程度で211人減となっております」
岩崎部長の答弁は、ついに、肝心な北本市の実数に及んだ。それは、衝撃的な数値であった。
平成15年に667人の新生児が生まれていたのに、9年後には456人に減少していた。10年満たずに、30%以上減少している。ちなみに、問題視されている総人口は3%も減少していない。
「また、本市の人口に占める割合を示す出生率、こちらは人口1,000人当たりの子どもの生まれる割合でございますが、平成15年では9.5でしたが、その後減少が続いて、平成24年には6.7となっております」
この出生率の低下は、総人口が減少していることも影響しているのか、30%は超えていない。
人口比の数値をどう評価すべきかは、この後の他市の数値と比較してみないとわからなかった。
「こうした状況の中、ちなみに、近隣の状況につきまして申し上げますと、鴻巣市では、出生数が850人前後を安定して推移しており、平成24年は857人となっています。
桶川市では、出生数が平成16年の626人をピークに緩やかに減少し、平成24年は539人となっております」
岩崎部長の答弁では、鴻巣市と期間が一致しているが、桶川は1年ずれていて、厳密な比較ができない。
しかし、大雑把に言えば、鴻巣市の場合は総人口も出生数も横ばい、桶川市は総人口微増の中、出生数は14%減少している。
北本市が、30%を超える減少率であることを考えれば、悲観せざるを得ない。
16.
「このように、近隣市と本市の数値の推移には違いがありますが、なぜ違うのか、その要因を特定するというところは難しいものと考えております」
岩崎部長は、白旗を揚げるような発言をした後で、高木には新田の発言とわかる、部下とのやりとりを披露した。
「ちなみに、担当で、この要因、何かないかということで分析したものが一つございます。それは、婚姻数について、どうかということで数字を求めましたところ、過去の10年の合計特殊出生率と婚姻数の推移を照らし合わせますと、ほぼ同じような動きをしているということがわかりました」
つまり、この答弁の原案を作成した新田のような、結婚をしない市民がいることが要因であると言うのである。
新田と大沢ゆかりとの先日のやりとりを思い出したのか、高木の顔に笑みが浮かんでいた。
「したがって、一つには、市における婚姻数を増やすことができれば、出生数と出生率は上向いていくのではないかと考えることもできるということで、担当のほうは考えているところでございます」
新田は、自ら答弁の原案を作成しながら、達成感はなかった。
新田は、高木との今回の問取りで、9月議会後に、高木が、彼なりにリサーチしたことを聞かされた。
高木は、国立社会保障・人口問題研究所を訪問し、市町村の人口問題に対する処方箋があるのかを訊ねてみたそうである。
国立社会保障・人口問題研究所は、厚生労働省の政策研究機関であり、行政関係者からは、「社人研」と呼ばれることが多い。
辞書には、人口・世帯数の将来推計や社会保障費に関する統計の作成・調査研究などを行う、と説明されている。
将来推計人口に関しては、最大の権威であり、都道府県や市町村のほとんどの計画は、ここのデータが基礎になる。
「それで、どうだったのですか?」
新田がそう言うと、高木は、残念そうに首を横に振った。
社人研は、統計のマクロ分析をするのが仕事で、個別の市町村の人口問題については、全く無力と言っていい。
そもそも統計分析は、規模が大きければ、予測精度は高くなる。小さな市町村の個別の要因を盛り込むことは難しい。
北本市の人口問題を解決するための処方箋は、自ら創造しなければならないのかも知れない。
17.
「昨年9月、私は、鴻巣、桶川、北本との対比も含めて、人口ピラミッドの形状を見させていただきました。それから、12月に今度は、ピラミッドで若干気になった0歳児から4歳児の細り方に注目しまして、出生率、出生数を質問させていただきました。今回は、それをさらに掘り下げてお聞きしたいと思います」
平成26年3月10日、平成26年第1回北本市議会定例会の、高木議員の一般質問はこのように始まった。
日本は、平成20年、つまり2008年に人口減少社会に突入したと言われている。北本市は、不名誉なことに、日本より2年早く人口減少に入っていた。
高木は、前段として、市で把握している総人口の推移と展望についてを質問し、次のように続けた。
「要旨2、0歳児人口の推移と展望について。
昨年12月に、一般質問で出生数、出生率をお伺いしたわけですが、保健所で把握している数値ではなく、住民基本台帳に登録された数値を追うべきだと判明しました。そこで、今回は、各年の0歳児人口の推移と展望についてお伺います。住民基本台帳のデータでお願いします」
要するに、保健所への届出と、市が住民基本台帳で把握している数値に、微妙な差異があるので、後者を基本にすることにしたわけである。
そもそも、人口に関する統計では、西暦で2000年、2005年、2010年のように、5年ごとに行われる国勢調査による数値と、市町村の住民基本台帳の値が、大きく異なることが少なくない。
国勢調査は、実際に居住している数値を、訪問調査で把握する。これに対して、住民基本台帳の場合、住民票を移さずに、実際は勤め先や通学先近くのアパートに住んでいる者も含まれる。
国勢調査が、厳格に行われていれば、実態はこの数値であろう。しかし、近年の数値は信憑性に疑問がある。
勿論、国勢調査では、居住者の通勤先・通学先などのデータも収集されているので、貴重な情報源となる。しかし、人口動態に関しては、年齢別の人口も含めて、毎月の数値が把握できる住民基本台帳の数値を採用する方に軍配が上がる。
18.
「本市の0歳児人口の推移といたしましては、お手元の資料にございますとおり、平成16年は641人で、それ以降は平成19年の599人、前年度比53人の増を除くと減少傾向が続き、平成23年には430人、前年比79人の減となりました。その後は、おおむね横ばいが続いておりましたが、直近の平成26年では388人となり、再び減少傾向が強まることが懸念されております」
19.
「本市における数値の減少の要因といたしましては、子どもを出産する年齢の割合のボリュームゾーンとなっております20歳から39歳の女性人口の推移による影響があるものと考えます」
岩崎部長は、北本市における0歳児人口の極端な減少の理由として、20歳から39歳の女性人口の減少を挙げた。
北本市における20歳から39歳の女性人口は、平成16年は10,001人であったが、それ以降は一度も増加に転じることなく、平成26年には7,437人と近隣市と比較しても、急速に減少しており、10年間の変動率で見ますと約26%のマイナスとなっている。
しかし、分からないのは、出産のボリュームゾーンである20歳から39歳の女性人口の減少が26%であるのに対して、出生数がその1.5倍である39%も減少していることである。
そればかりではない。鴻巣市と桶川市の20歳から39歳の女性人口と0歳児人口のデータを見てみると、さらに大きな疑問がわいてくる。
両市が北本市と同じ傾向であるならば、20歳から39歳の女性人口の減少率は、0歳児人口の減少率を下回るはずである。しかし、事実は全く逆で、鴻巣市は15%、桶川市は18%、20歳から39歳の女性人口が減少していたのである。
「0歳児人口の推移と展望についてですけど、これも私が求めた資料以上に、20歳から39歳の女性人口とのリンクについて、データを作成いただいて、リンクしていることがわかっております。
しかし、20歳から39歳の女性人口の減少以上に0歳児が減っているというところがなぜなのか? さらなる分析をお願いします」
高木は、謎ともいうべき疑問に対しての、今後の分析を要望して、次の質問へと進んだ。
この当時、一般質問は一括方式と呼ばれる方式で行われていた。質問の回数は3回までとされ、すべての件名に関して連続して質問を行い、同じく連続して答弁を受ける。2回目、3回目と同様に質問と答弁が行われる。
時には、また件名によっては、2回目や3回目を行わずに、議員の意見や要望を述べて終わることもある。
今回の高木の人口問題に関する質問はこのように締めくくられた。
20.
「2040年896自治体若年女性半減」
平成26年5月9日金曜日の読売新聞の1面に、このタイトルの記事が掲載された。
前日に、日本生産性本部に事務局を置く、「日本創生会議」の「人口減少問題検討分科会」が記者発表し、読売新聞ばかりではなく、朝日新聞も毎日新聞も1面で取り上げていた。
日本創生会議は、一応、民間の有識者会議とされているが、座長は元総務大臣の増田寛也氏であり、事務局も日本生産性本部が担っているので、かなり、政府と通じるものがあると考えられた。
「消滅可能性都市ですか、衝撃的ネーミングですね。北本市も入ってしまいましたね」
新田は、議会の応接スペースで、高木議員と複数の新聞を広げながら、話をしていた。
「この記事によると、2010年から2040年の30年間で、20代ー30代の女性人口が半減すると推計される市区町村ということだね」
高木が、消滅可能性都市の定義を確認した。
全国には、1,750ほどの市町村がある。大きな政令指定都市は、区制があり、中堅の市と同等以上の行政区である。これらの区も入れると、1,850以上になる。896市区町村とは、50%に近い割合と言える。
埼玉県は、市が40、町が22、村が1で成り立っている。政令指定都市であるさいたま市は11の区があるので、自治体の数としては73になる。
その中で、6市、14町、1村が消滅可能性都市の称号を受けてしまった。
埼玉県の消滅可能性都市の比率は約30%なので、全国と比較すると、かなり低い。それなのに、北本市は少数派の6市に入ってしまったのである。
「北本市以外は、幸手市、行田市、三郷市、秩父市、飯能市ですか。高崎線沿線では、北本市と行田市ということになりますね」
新田は、20代ー30代女性人口減少率の大きい順に並べられたリストを見ながら言った。幸手市が特に悪くて、-62.7%、次いで行田市が-56.2%、そして、北本市がワースト3の-55.0%になっていた。
前年の9月議会で、北本市の人口減少、特に出生数の減少が、どうも近隣より深刻ではないかとの疑問が生まれ、データ分析が始まった。