小説 北本市議会
第四話 消滅可能性都市 後編
作 高橋伸治

1.

「千葉県佐倉市のニュータウン、ユーカリが丘ですか?」
北本市総合政策部政策推進課の新田正紀は、高木聡市議会議員と議会の議員控室で、人口問題について情報交換を行っていた。
「同期の議員何人かと一緒に行ってきました。要するに、人口問題は都市計画、もっと端的に言うと住宅政策に元があるわけですよね」
高木によると、ユーカリが丘は、千葉県の内陸北部の佐倉市にあるニュータウンであり、まちづくりの成功例として、建設大臣賞、国際交通安全学会賞、日本都市計画学会賞計画設計賞など数々の賞を受賞しているという。
東京都心から38キロメートルの距離にあり、東京駅までの鉄道所要時間は47分とされている。北本市も東京駅まで50分なので、ほぼ同じ距離感である。
「以前の一般質問でも言及したことなんだけど、ここを開発した山万という会社が、京成電鉄に駅を寄付しているんですよ。1979年だから、今から35年前ですかね。寄付は25億円だったそうです」
視察の受け入れを、デベロッパーの山万に打診したところ、断られたという。
「勝手に見に行ってきました。7メートル四方のジオラマがあるショールームには、一般客として入れてもらって、丁寧な説明もしてもらいました」
高木の話を聞いて、新田は、「議員に必要なのは行動力だな」と感じた。
当時のユーカリが丘は、世帯数約7,000戸、人口約18,000人の規模であった。
ネットで検索すると、
<ユーカリが丘は、通常のニュータウン開発手法である「分譲撤退型」ではなく、長期的な街づくりを前提とした「成長管理型」の開発が行われており、「自然と都市機能の調和」「少子高齢化」「安心・安全」「文化の発信」「高度情報通信化」の5つのキーワードに沿った、一貫した開発が行われている。>
と説明されている。
駅を降りるとすぐに、シネマコンプレックスを擁したショッピングモールがあるとともに、新交通システムであるユーカリが丘線が利用できる。
ユーカリが丘の中心部には、大きな池があり、その池を周回するループ路線として、この新交通システムは、高架で建設されている。
新交通システムの各駅で降りると、徒歩10分以内で自宅に着くように設計されている。

2.

「ユーカリは、その葉をコアラが主食にすることで知られているけど、大気の清浄効果を持ち、アロマテラピーでは、幼児に安全な殺菌効果があるオイルとして、フローリングに塗られたりするんですよ。乳幼児が舐めても安心なように」
高木によると、自然環境との調和のシンボルとして、まちの名前に使われたという。
さらに、イメージ戦略として、駅前ロータリー、公園などタウン内には約20本のユーカリの木が植えているそうである。
「開発元の山万という会社はどんな会社なんですか?」
新田は、聞いたことのない会社がすごいことをしていると思い、高木に訊ねた。
「私も、それほど詳しくはないんだけれど、元々は、繊維商社だったらしい」
高木の説明によると、繊維商社だった山万が、取引先の倒産により代金回収ができず、代わりに土地を取得したのが始まりだった。急遽、不動産部門を設置して、宅地開発事業を開始した。神奈川県の、海に面した高台の分譲住宅は、日本の高度経済成長の波に乗って、大きな成功を収めた。
「しかし、当時不動産事業を担当し、現在企業トップの島田社長は、短期間の間に、分譲撤退型事業の罪悪に気付いたという」
高木の説明は続いた。
最初の分譲地は、高台で見晴らしが良く、評価が高かった。しかし、高齢化が進むに連れ、坂道が苦痛になった。
島田氏は、ユーカリが丘の開発に際して、この失敗を繰り返さないことを肝に銘じたのであろう。
「ちょっと待ってください。ユーカリが丘の構想は、遅くとも、1970年代初めですよね。
最初の分譲地も、まだ高齢化はそれほど進んでなかったと思うのですが?」
新田の疑問ももっともである。
「島田さんの想像力がすごいのかも知れない。ちょっとした兆候から、未来が見えてしまう人なのかも。もう一つ、山万の弱点が、素晴らしい結果を生んだのかも知れない」
高木が言うには、山万が、巨大デベロッパーではないため、6,000戸以上を一度に開発販売できなかったことが、結果的に素晴らしい成功を生んだと考えられる。
事実、ユーカリが丘の戸建ての分譲は、年間に200戸から300戸、30年間で6,000戸に達したという。

3.

「驚きです。すご過ぎますね」
新田は身を乗り出すようにして言った。
要するに、各年の分譲数を絞ることによって、一貫して若い世代を入居させる結果になった。
住民の世代は分散化し、他のニュータウンが、住民の高齢化による過疎化に苦しんでいるのをよそに、健全な人口ピラミッドを維持している。
「佐倉市と山万の関係にも興味深いことがいくつかあるんだよね。ホームページに掲載されていることなんだけど」高木は、次のように、自分が感心したポイントを話し始めた。
新交通システムは、小さな鉄道であるが、当初佐倉市は、バスを並走させることも考えていた。しかし環境保護を重視した山万はこれに難色を示し、バス路線は実現しなかった。
現在も、ユーカリが丘駅に乗り入れるバス路線は開設されていない。
まちづくりには、自治体と開発業者との様々な申し合わせが必要になる。宅地面積や道路の幅員など、住環境に関する事項である。
ユーカリが丘の場合も、一定の面積を維持すること、ブロック塀は高くしないことを協定し、植栽による緑化も推奨している。現在では、これが、佐倉市の制定する地区計画において生かされ、条例化されているという。
まちの付加機能として、一度に設けられたものではなく、まちの成長にリンクして、まず、総合子育て支援センターや保育所が設置された。その後、流石のユーカリが丘も高齢化が進むと、老人保健施設、グループホーム、温浴施設などの整備が進められた。さらに、最近では、知人・友人の訪問時のホテルも駅前に建設されている。もっとも、このホテルは、成田空港の利用者の前泊などの需要も見込まれていると思われる。
さらに、山万は、ユーカリが丘内の約7,000世帯を直接訪問し、独居高齢者を含む、市民の声をヒヤリングするための専門チーム「エリアマネージメントグループ」を設置している。
「行政サービスを超えていますね」
新田は、改めて、山万のすごさに感心した。
ビジネスと公共サービスが融合した社会が実現されていた。

4.

「昨年9月、私は、人口ピラミッドについて、12月には、出生率、出生数について質問させていただきました。本年3月には0歳児人口の推移と20歳から39歳までの女性人口の推移について一般質問しました」
平成26年6月17日、平成26年第2回定例議会、高木議員の一般質問はこのように始まった。
「先月、日本創生会議より、消滅可能性都市が発表され、不名誉なことに、北本市も名を連ねてしまいました。この真偽につきまして、十分な検証の時間がありませんので、この点につきましては次回に譲り、今回は別の視点からの質問をさせていただきます」
平成26年5月8日、元総務大臣の増田寛也氏を座長はとする「日本創生会議」の「人口減少問題検討分科会」は、「消滅可能性都市」として、896自治体をリストアップした。全国の市区町村の半数に近い数字であった。この「消滅可能性都市」は、2010年から2040年の30年間で、20歳-39歳女性人口が半減すると予想される自治体のことである。
新田と高木は、まずは、この発表の真偽と信憑性を検証する必要があると考えた。しかし、6月議会が迫っていたので、十分な時間を割けなかったのである。
「今回、多少ご苦労いただいたのですが、総人口について、市内の地区別に調べていただいておりますので、そのあたりのご説明をお願いしたいと思います」
高木の質問はこのように続いた。この質問の問取りの際に、「自治会ごとのこの10年間の人口増減データが出せないか?」
と依頼され、新田は、人口ピラミッドの3市比較を頼まれた時以上に困惑した。
北本市には、大小あるが、111の自治会がある。自治会ごとに分析すると、膨大な作業になる。
そこで、新田から主に町名で括ることを提案した。例えば、市役所は本町1丁目にあるが、「本町」は2丁目、3丁目と続き、8丁目まである。隣接する「中央」は1~4丁目、東北部の「東間」は1~8丁目。東南部の「中丸」は1~10丁目まである。
中には、「北中丸」のように1・2丁目しかないない地区もあり、この「大字」による括りにおいては、数百人から7千人までのばらつきがあった。それでも、全市を23区分する括りであり、傾向を把握するには妥当な区分であった。

5.

「それでは、件名1の質問にお答え申し上げます。初めに、総人口の地域別分析ということでご質疑がございましたので、回答申し上げます。
議員のお手元にお配りしている一番上の黄色と水色がついた資料でご説明申し上げます」
岩崎雄一総合政策部長は、例のごとく、顔にも声にも感情を込めず、淡々とした答弁を始めた。
その資料は、中央、西高尾、本町、中丸など23地区ごとに、平成16年と平成26年の人口とその10年間の増減、増減率をプラスからマイナスの順に並べた一覧表であった。
「過去10年間の変動につきまして申し上げますと、増加率が最も高かったのは北本宿、黄色の部分でございます。26.59%でございました。続いて、石戸宿が19.75%、中央が7.23%、緑が5.77%となっております」
岩崎部長は、この4地区を挙げたが、一覧表によると、23地区中9地区がプラス、14地区がマイナスとなっていた。
「北本宿の人口が増加した要因といたしましては、南小学校周辺の戸建て住宅開発や集合住宅の建設が多くあったことによるものと考えます。
石戸宿につきましては、石戸宿4丁目地内にございます大規模住宅団地の完成、中央につきましては、分譲マンションの建設によるものと考えます」
全市での増減データでは見えなかったことが、このような区分データを確認することによって見えてきた。
そもそも、「分かる」という言葉は、混沌としたものを「分ける」が語源と言われる。これまで、北本市の人口動態の分析では、このように地区に分割してデータ化することをやってこなかった。新田も作成してみて、「分かる」ということを実感した。
要するに、この10年間で地域開発が行なわれ、住宅が増加した地区がどこかが判明し、さらに、その実数と増加率も明らかになったのである。
ただし、岩崎部長は言及しなかったが、増加率上位4地区は、母数自体がそれほど大きくはなく、4地区合わせても、730人の増加に過ぎなかった。

6.

「一方、減少率が最も高かったのは、栄の北本団地で26.5%でございました。北本団地では、この10年間で4人に1人が減ったという状況でございまして、また市全体でも10年間で2,100人減少している中で、北本団地が約1,340人の減、、市全体の減少の64%を占めており、本市の人口減少は、北本団地の影響が大きいと分析しているところでございます」
北本団地は、昭和46年、1971年に、北本市の南西部に、当時の日本住宅公団によって建設された。5階建ての鉄筋コンクリート、いくつかのタイプがあるが、平均1棟30戸で、80棟近くになる賃貸住宅である。今でいうところのリーズナブルな家賃で、入居時は若い家族が多数を占めた。
北本市は、この年の11月に、町から市になったが、北本団地の8,000人は、市の人口の25%に近かった。
その後、賃貸の住宅であったので、市外への転出者も多かったが、北本市内への転居者も少なくなかった。
平成16年は、建設から32年を経過していたが、ピーク時から、約3,000」人減少していたことになる。さらに、それから10年後、建設から42年後は、ピーク時から約4,300人減少し、半減以下になっていた。
市の人口の25%近くを占めていた北本団地は、今や5.4%まで低下していたのである。
岩崎部長の答弁は続き、北本団地に次いで減少率の大きな地区を挙げた。しかし、母数が少なく、減少率だけが高い地区が2つあり、3番目の「北本」が398人減、5番目の「二ツ家」が538人減と、絶対値では大きかった。
「こうしてみますと、人口の変動につきましても、必ずしも駅から近い地域の人口が増え、遠い地域の人口が減るということではないという結果が出ております。各地域における住宅地開発、少子高齢化等、複数の要因が重なっての結果と考えます」
岩崎部長は、地区別の人口動態分析によって、単純に駅からの遠近で論じてはいけないと締めくくった。
高木は、最後にまとめと要望として、以下のように語った。
「総人口の地区別で、栄とそれから北本1~4丁目でしょうか、それから二ツ家、この3つ地区で全体以上の人口減少をもたらしています。今後は、地区別に分析して施策をやっていくということを、考えていくデータになったのではないかと思います。これ以上の分析はどうなのか、時系列で、いつの時期にこの地区がどうだったかというのは、多少つけ足しで分析をお願いしたいと思います」

7.

「そんなニュータウンがあるのね」
北本市文化センターの「軽食パンダ」で、大沢ゆかりは、新田からユーカリが丘の話を聞いて、感心していた。
高木から話を聞いて、新田は自分でもインターネットで、ユーカリが丘を調べていたので、詳しい説明ができていた。
「私の名前に近いし、何となく嬉しいわ。まあ、冗談はともかく、商売だから、本気で考えたかも知れないわね。でも、他のデベロッパーができている訳じゃないし、どう考えたらいいのかしら?」
ゆかりにそう訊ねられて、新田は関連して調べた、有名なニュータウンについて話し始めた。
首都圏において、最大のニュータウンは、稲城市・多摩市・八王子市・町田市にまたがる多摩丘陵に計画・開発された多摩ニュータウンであろう。
総人口は、20万人をはるかに超えていて、ユーカリが丘の10倍以上の規模になる。中心の多摩センターから新宿までは最短で33分の利便性が評価されていた。
開発は1960年代に始まり、1971年に分譲が始まった。しかし、正にその年にドルショック、2年後にオイルショックが起こり、紆余曲折の中10年以上かけて完成した。
「でも、40年を経過して、建物も住民も高齢化して大変だと報道されていたと思うけど?」
ゆかりが言う通り、二重の高齢化は「ニュータウン」の宿命のように言われている。
多摩ニュータウンの場合、開発と同時進行で、都心部の大学がキャンパスを設け、中央大学や明星大学、帝京大学、多摩美術大学等が立地し、1983年、昭和58年には東京都立大学の移転があり、学園都市の様相も呈している。
このことにより、学生という若い世代の存在を活用した、再生の動きが始まっていた。
要するに、ユーカリが丘は、一民間企業がコントロールできる適正規模のニュータウンであり、30年かけて年輪を形成させるような育成を図ったことによる、特殊な例とも言えた。それにしても、ユーカリが丘の開発は、1970年代の後半から始まったのであり、先行するニュータウンの衰退が顕在化する前に、山万は「手を打っていた」と思われる。
大沢ゆかりも新田も改めて、山万のすごさに感心した。

8.

「岩崎部長が答弁していたけど、北本団地が北本市の人口問題の主役なのね」
ゆかりは、高木議員の人口問題に関する一般質問に対して、「北本市の人口減少の3分の2が、北本団地の人口減少に起因する」とした岩崎総合政策部長の答弁を思い出していた。
1971年、昭和46年に市制が施行された時に、北本団地の人口は、北本市の総人口の25%近くに達し、市制施行の原動力になった。平成16年には、総人口が増加し、北本団地の人口が減少したことにより、総人口の7%、平成26年には5%となった。
結果として、10年間で総人口が3%減少する中で、北本団地の人口減が、2%分の減少の原因になっていた。
「ねえ、北本団地はニュータウンだったの?」
ゆかりの質問に、新田は暫く考えか込んだ。
「そうだね。比喩的には北本市のニュータウンと言ってもいいかもしらないけど」
確かに、北本団地は日本住宅公団が開発した、75棟、2000戸の団地である。面積は23.8ヘクタール、東京ドーム5個分の広さがある。
ここの住民のために、栄小学校が新設されているし、北本診療所も、ミニ商店街も用意されている。
しかし、同時期に開発された、東京都板橋区の高島平団地と比較すると、戸数で5分の1、面積は10分の1であり、ミニニュータウンというところであろう。
「それと、二ツ家と北本が、大きく人口減少していたでしょ?」
ゆかりの言う通り、10年間で、栄は5,064人から3,722人へ、1,342人減少し、群を抜いているが、栄に次いで、二ツ家も北本も大きく減少していた。二ツ家は5,464人から4,926人へ、538人の減少、北本は3,168人から2,775人へ、393人の減少となっていた。
この栄・二ツ家・北本の3地区の合計が、2,273人、総人口の減少が2,097人なので、3地区を除くと170人以上増加していることになる。
「二ツ家と北本の人口減少の要因は、同じではないけど、やはり、集合住宅の空の巣現象、つまり、鳥の雛が成鳥になって巣立って行くように、子どもたちが成人して出て行ったことが大きいかも」
新田の説明によると、二ツ家の場合、32年前にハイデンスという分譲マンションが建設され、20年前に、隣接地にマリオンという分譲マンションが建設されている。両方合わせると、850戸ほどになる。
北本の場合、ハイデンスやサンマンション、あるいはワコーレほど大規模ではないが、幾つか社宅や中規模な分譲マンションがり、社宅の閉鎖や空の巣現象による人口減少が起こったと考えられる。

9.

「私は平成23年5月から議員をしています。その平成23年度、前議長の福島議員が、人口減少問題の特別委員会の設置を提案しました。恥ずかしい話ですが、この23年度当初の時点では、私は、人口減少はほとんどの自治体が抱える普遍的な問題であり、北本市がとりわけ深刻であるという認識はなかったわけです。そういう意味では、福島議員の直感力、アンテナの高さというのは立派なものだと、先ほど聞いていて、思いました」
平成26年9月18日、平成26年第3回定例議会の一般質問で、高木議員はこのように話し始めた。
当時、埼玉県において、秩父市、行田市、次いで飯能市が、人口減少のワースト3と言われていた。北本市は中位にランクされるぐらいの市という認識を、多くの市民が持っていた。それから、ほぼ2年後、平成25年9月に高木議員が一般質問において、人口ピラミッドの3市比較を取り上げるまで、北本市の人口問題の深刻さは、認識されていなかったわけである。
新田は、高木議員が人口ピラミッド比較を思いついたのは何故か、そのストーリーを聞いていた。
高木によると、当時、埼玉県がアジアプロジェクトで、アジアとの関係強化を進めていた。高木としては県と連動して、北本市の国際化も進めるべきだと考えた。そのような流れで、アセアン各国のデータを分析している過程で、意外なことに気付いたという。
それが、各国の30年後の人口ピラミッド予測の違いであった。同じように経済成長していくように見える主要国の中で、30年後に日本と同じ運命を辿る国と、、ピラミッドと呼べる形状を維持するグループに分かれるのである。
日本化するのは、シンガポール、ベトナム、タイであり、ピラミッドの形状を維持するのが、インドネシア、マレーシア、フィリピンと予想されていた。
また、同時期に、テレビ東京のカンブリア宮殿でユーカリが丘が取り上げられ、人口ピラミッドが美しく形成されていることを放映していた。
そこで、鴻巣市、桶川市、北本市の人口ピラミッド比較を思いついたのである。そして、前述したように、当初、違いに気付かなかったが、大沢ゆかりの発見により、0歳児人口の激減に気付くことができた。

10.

「さて、このような人口問題について、北本市の状況をステップで見ていく中、5月に、日本創生会議が、消滅可能性都市ということで、全国896の市町村をリストアップしました」
これは確かにセンセーショナリズムであり、大げさな表現と言える。行政機能が麻痺に近い停滞を呈することは予想されるが、消滅するわけがない。
埼玉県は、63市町村中21市町村、市としては40市中6市、消滅可能性都市としてリストアップされた。そして、北本市は、その6つの市の中では3番目に悪い指標が示されていた。
「そこで、どのような根拠で、不名誉なグループに入れられてしまったのか、きちんと整理する必要があると思います」
高木は、まず、総合政策部が、この日本創生会議がどのようなロジックで、消滅可能性都市を定義したのか、把握しているかを質問した。
「日本創生会議が発表した消滅可能性自治体とは、国立社会保障・人口問題研究所により、平成25年3月にまとめられた平成22年の国勢調査をもとにした、2010年10月1日から2040年10月1日までの30年間の男女年齢階層別の将来人口の推計に準拠しています」
岩崎部長の答弁は、このように始まった。
つまり、国立社会保障・人口問題研究所が、2005年と2010年の実データをもとに、2015年の推計を出していて、日本創生会議は、その変化が同様に2040年まで続くと仮定して試算したものということである。
「このように仮定した場合、2040年までに、20歳から39歳までの若年女性が50%以上減少し、かつ、人口が1万人以上である自治体を言っております」
確かに、出産の95%以上を担う年代の若年女性の人口が半減することは大変な事態である。しかし、消滅してしまうとすることには疑問がある。リストアップされた多くに自治体が反発したのは当然である。
日本創生会議が、この発表をしたのは、平成26年5月8日であったが、これに先行して国の動きがあった。
3月3日に行われた内閣改造により、内閣特命担当大臣として地方創生担当大臣を設けるとともに、地方活性化対策の司令塔となる、まち・ひと・しごと創生本部を創設し、人口減少対策及び地方再生などの重要課題に対して、積極的に取り組んでいく体制を整えたとされている。
「創生」を冠した「日本創生会議」の動きは、これとリンクしていることは明らかであった。

11.

「件名1の再質問をさせていただきます。
消滅可能性都市の定義などはわかりましたが、この日本創生会議のデータは、全国を対象にしたために、若干古いので、最新の状況が気になります。予め、資料請求してありますので、最新データでの分析について、説明をお願いいたします」
高木議員は、自席で2回目の質問として、このように発言した。
一般質問では、一般質問通告に資料提出を求めることを明記し、事前のヒヤリングにおいて、詳細の打ち合わせを行う。その資料は、「平成26年第3回定例会通告5番議席番号3番高木聡議員の一般質問参考資料1」というヘッダーが印刷されて、議場と傍聴者に配布される。
平成26年9月の時点では、平成26年、つまり2014年の1月1日現在の、県内全市町村の1歳刻みの男女別人口データが、埼玉県により把握され、ホームページにアップされていた。そのデータにより、6市を検証し直すということが可能であった。
「参考資料1についてご説明申し上げますが、20歳から39歳女性人口、0歳児人口、出生数をグラフと表にまとめております。日本創生会議の公表結果で示された本市の20歳から39歳までの若年女性人口比率は、北本市がマイナス55%で、6市中3番目に減少幅が大きくなっております。
一方、平成16年から平成26年までの10年間の若年女性人口の減少率を見ますと、北本市がマイナス24.5%で、行田市と秩父市とは僅差でありますが、6市中、一番悪い数字となっております。
また、0歳児人口及び出生数の直近10年間の減少率につきましては、6市中、ワーストの約40%の減少率で、他の5市と比較しましても、数字は大きくなっているところでございます」
岩崎部長は、例のごとく、他人事のように淡々と、恐ろしい結果を答弁した。
日本創生会議は、2040年の推計値で自治体を序列化したが、新田が作成した「参考資料1」では推計ではなく、直近の実績を序列化していた。
この参考資料1によると、10年間の若年女性人口の増減率は、北本市-24.5%、秩父市-23.5%、行田市-23.1%の順であった。
また、大沢ゆかりが指摘した婚姻数の増減率は、北本市-31.5%、行田市-31.2%、秩父市-23.9%の順になっていた。
さらに、0歳児人口の増減率は、北本市-39.4%、行田市-24.1%、秩父市-23.0%になっていた。

12.

「ワーストクラスNo1 まちの生長点=0歳児人口が危険!」
このような大見出しタイトルの「高木さとし市政リポート7号」が平成26年10月に発行された。
サイズはB4、コート紙に黒1色、両面印刷され、印刷部数は、5,000部前後と思われる。
「あら、初めて見るわ」
北本市役所1階の市政情報コーナーで、大沢ゆかりは、新田から高木の市政リポートを見せられた。
市議会議員のほとんどは、このような個人の「市政報告」あるいは「議会報告」を発行している。毎月発行している藤本議員は例外として、議会の開催と同じ4回、あるいはその半分の2回が一般的である。
高木議員の場合、配布される地域は、本人が住む西高尾1丁目と隣接する2・3丁目、本町1~3丁目、中央1~4丁目であり、配布方法は各戸へのポスティングである。このエリア総計で4,000戸程であろう。
全市に配布すると、25,000部になるが、個人リポートの場合、概ね自分の居住地域周辺5,000部といったところであろう。
「それで、私の家にはポスティングされなかったわけね」
ゆかりは、北本市の西の市境を流れる荒川の近くに住んでいたので、高木の市政リポートを知らなかったのである。
「平成会や政党会派のは、新聞折込されることがあるけど、高木さんは、地元へのポスティングということね」
ゆかりは、新田に説明されて、納得した。
大きな会派の場合、新聞折込にすることが多い。当時の新聞折込は1部3.4円が相場であり、朝日・毎日・読売を合わせて22,000部、消費税を入れて約8万円近くになる。印刷費はバラつきがあり、4万円から6万円というところである。
一番ポスティングしている藤本議員に、新田が聞いたところによると、市街地の場合、1時間に150軒が平均だという。5,000部をポスティングすると、30時間以上かかることになる。
「藤本議員の場合は、毎月リポートを発行しているので、10年目で100号を超えている。
笑っちゃうけど、ポスティングが藤本議員の健康法で、会議ばかりで、2週間ポスティングしないと、体調を壊すんだって」
ゆかりに、「ポスティングって大変よね」と訊かれて、新田はこのように答えた。

13.

「あれ、大沢さんじゃないですか! 久しぶりですね」
市政情報コーナーの近くを通りかかった高木議員が、二人に声をかけた。
大沢ゆかりは立ち上がって、丁寧な挨拶をした。
「先日の一般質問、傍聴させていただきました。日本創生会議のデータは古いと仰ってましたが、全くその通りですね」
ゆかりにそう言われて、高木は大きく頷き、3人は、市政情報コーナーのテーブルを囲むように席についた。
「そうです。日本創生会議は国立社会保障・人口問題研究所の人口推計から2ヶ月程で試算しているので、そこは立派かもしれませんね。でも、その前の社人研の人口推計は、国勢調査のデータが精査されてから試算が行われるので、相当なタイムラグがありますね」
高木は、日本創生会議が頑張っても、古くなる理由を、このように説明した。
「それにしても、北本市の出生数の減少率39%でしたっけ、驚異的ですね」
高木の市政リポートのその部分を示しながら、ゆかりはため息をついた。
「うーん。説明がつかないんですよね」
高木は腕を組んで、疑問点を話し始めた。
単純に考えると、若年女性の増減と、婚姻数の増減、出生数の増減は比例するはずである。事実、秩父市の場合は、すべてマイナス23%台になっている。
ところが、北本市の場合は、それぞれ-24.5%、-31.5%、-39.4%になっている。
「つまり、若年女性の減少以上に、結婚する意欲が低下し、さらに、出産する意欲も低下しているとしか思えない」
厳密に言えば、短期的な婚姻数の増減が、出生数の増減と比例はしないはずである。むしろ、既婚率の増減が影響すると思われる。
「行田市も不思議ですよね。婚姻率の低下は北本市に追従しているのに、出生数の増減では元に戻っている。あら、元に戻っていると言うのはおかしいかしら?」
ゆかりは、行田市のデータを示しながら、高木と新田に訊ねた。
ゆかりが言うように、行田市の場合、若年女性の増減が-23.1%、婚姻数の増減が-31.2%と、北本市と近い。しかし、出生数の増減をみると、北本市が-39.4%であるのに対し、行田市は-24.1%であり、行田市の若年女性増減率の-23.1%に極めて近い。
新田も高木と同様に、腕組みをして考え込んでしまった。

14.

「鴻巣市と桶川市も不思議ですよね。ほら、ここの数字」
ゆかりは、市政リポート7号の表ページの左下の表を示した。
消滅可能性都市とされた6市に加えて、参考のために、鴻巣市と桶川市のデータも記載されていた。
「気付きましたか? 数字に強いですね!」
高木に褒められて、「そんなことはないですけど」と、ゆかりはテレていた。
ゆかりが指摘した両市の若年女性の増減率をみると、鴻巣市は-15.3%、桶川市は-18.2%である。一方、出生数の増減率は、鴻巣市-9.5%、桶川市-10.9%である。
つまり、この数値は、両市とも、若年女性が減少したほどには、出生数が減少していないことを意味していた。
「出産意欲という言葉はないかも知れませんが、両市は、北本市とは正反対の傾向になりますよね」
高木が説明するには、北本市の若年女性はこの10年間で、出産を控えるようになり、鴻巣市と桶川市の若年女性は、むしろ出産に積極的になったと言える。
「ついでに言えば、消滅可能性都市6市の再検証の結果をみると、日本創生会議の試算方法に疑問がありますね」
高木によると、北本市、秩父市、行田市は、日本創生会議も新田の試算も大差がない。しかし、日本創生会議でワースト1とされた幸手市は、新田の試算ではそう悪くはない。偶然の短期的なデータを用いた間違いの可能性も高い。
「本当ですね。この表から見ると、北本市、秩父市、行田市の3市は、どのデータも悪くて、間違いなくワースト3ですね。でも、飯能市、三郷市、幸手市はそれほど悪くないみたい」
ゆかりが指摘したように、平成16年から平成26年、つまり2004年から2014年までの10年間の実績データでみると、日本創生会議が埼玉県内で断トツのワースト1とした幸手市は、6市中5番目になる。
具体的な数字でみても、若年女性の増減率は-19.8%で、リストアップされなかった桶川市の-18.2%と大きな差はない。三郷市に至っては、若年女性の増減率は-10.5%で、鴻巣市の-15.2%より、明らかに良い数値である。さらに不思議なことに、三郷市の同時期の出生数の増減率は、マイナスではなく、12.7%のプラスなのである。
「兎に角、短期間のトレンドを延長すると、ミスリーディングになるということですね」
新田は、自分にも言い聞かせるようにそう言った。

15.

「私思うんですけど。今回の、消滅可能性都市に関して、新しいデータで再検証したことは素晴らしいことですが、むしろ、6月議会の地域別の人口動態分析の方が、意味があるんじゃないでしょうか?」
ゆかりにそう言われて、高木と新田は顔を見合わせて、驚きの表情を浮かべた。
「大沢さん、鋭いですね。私たちもそう考えています」
高木は、6月議会で、平成16年から平成26年、つまり204年から2014年までの10年間で、北本市を23地域に分けて、人口の増減を分析したわけである。
23地域は、町名での括り方なので、1,000人に満たない地域も4つ、2,000人以下も5つあったが、焦点を当てるべき3地域が特定できた。
3地域とは、栄・二ツ家・北本である。この3地区は、平成16年、つまり2004年当時、栄と二ツ家は5,000人以上の人口、北本は3,000人以上の人口を擁し、3地域で北本市の約20%を占めていた。
3地域は隣接しているわけではないが、共通項があった。それは、集合住宅の比重が高い地域であることであった。
「ご存知かも知れませんが、歴史的にみて、北本市は大きな工業団地を作らす、工場誘致することをして来なかった。首都圏の住宅都市を目指したわけです」
高木が言うように、昭和46年、つまり1971年に市制施行された時に、「緑に囲まれた、健康な文化都市」を将来都市像として、緑を積極的に残した住宅都市を政策の中心に据えたのである。
昭和の後半から平成の前半にかけて、この政策は機能して、高崎線で隣接する桶川市や鴻巣市よりも早く、人口の集積を進めてきた。
そのことは、3市の人口密度に現れている。
3市の面積は、鴻巣市が約67平方キロ、桶川市が約25平方キロ、北本市が約20平方キロであり、平成26年の人口は、鴻巣市約120,000
人、桶川市約74,000人、北本市約69,000人である。
その結果、平成26年の3市の人口密度を比較すると、1平方キロメートル当たり、鴻巣市約1,740人、桶川市約2,770人、北本市約3,480人となり、桶川市より東京から遠いにも拘わらず、北本市の方が、かなり人口密度が高いことがわかる。

16.

「私たちが生まれる前に、栄地域に北本団地ができて、その後、二ツ家のハイデンス、東間のサンマンション、宮内のアトレ、朝日のワコーレ、そして、二ツ家のマリオンと、次々に分譲マンションができましたよね」
ゆかりは、建設された順番を考えながら、北本市の集合住宅の名前を列挙してみせた。
北本市は、東京日本橋から直線距離で42キロ、所謂50キロ圏にすっぽり入る。市制施行前の昭和40年前後、つまり1965年前後、ドーナツ化現象と呼ばれた、都心部からの人口移動時代があり、北本町は、その50キロ圏ドーナツの最北部ということになる。
「栄地域の北本団地は、昭和46年に建設されましたが、その前に、開発会社の地産と埼玉県住宅供給公社により、戸建ての団地が造成・開発されました」
高木が説明したように、市制施行の前数年間で、地産と供給公社の両者だけでも、複数の戸建て団地が建設され、その時期だけで、総計1,000戸以上建設されていた。人口も4,000人近くになり、北本市の人口を20%近く押し上げている。
「今、大沢さんが挙げた大規模な分譲マンションだけでも、ピーク時には2万人に近かったと思いますよ」
さらに、大規模なマンション以外にも、小規模なマンションや賃貸アパートが数多く建設されてきたことは間違いない。
つまり、北本市の人口減少問題は、昭和後半から平成前半にかけて、分譲マンションが近隣に比べて、先行して建設され、住宅都市政策は成功した。そして、皮肉なことに、この成功が現在の苦しみを生んでいるということになる。
「この前、新田君から、千葉県佐倉市のユーカリが丘の話を聞きました。北本市として、あんなまちづくりはできなかったんでしょうか?」
ゆかりは高木にそう訊ねたが、独り言のようでもあった。
「お聞きになりましたか。まあ、ユーカリが丘が稀なケースだから、話題にもなり、メディアにも取り上げられたということですかね」
個々の開発会社は、長期展望に立ったまちづくりには責任がない。都市計画法や建築基準法を遵守していれば、行政は許可せざるを得ない。

17.

「話は変わりますけど、この市政リポートのここに、政策の提案がありますよね」
ゆかりが示したのは、高木さとし市政リポート7号の裏ページの下段であった。
市政リポート7号の表ページでは、「消滅可能性都市」に対する、新データによる分析と、先程から話題にしていた若年女性人口の増減率、婚姻数の増減率、出生数の増減率が論じられていた。
これに対して、裏ページは、人口増加による良循環と、人口減少による悪循環が説明されていた。
人口が増加すると、市民税と国から配分される地方交付税などが増加し、市民サービスを充実させることができる。逆に、人口が減少すると、市民税も地方交付税も減額され、市民サービスは低下する。
この人口減少による悪循環の場合、庁舎や学校・公民館などの公共施設、道路や上下水道などのインフラの維持費用は減額することが難しく、それ以外の市民サービスを大幅に減額することになる。
北本市のような、大きな産業がない、いわゆるベッドタウンの場合、平成26年当時、住民税と固定資産税、そして地方交付税の総額を人口で割ると、一人当たり、少なく見積もっても16万円以上になっていた。
これを前提とすると、人口1,000人が減少すると、1億6千万円の歳入減になる。この金額は、北本市の既存道路の年間補修費に匹敵する。また、2,000人減少すると、全市9公民館の年間維持運営費3億円を上回る額が歳入減となる。
多くの市民は、この人口減少がもたらす悪循環の恐ろしさに気付いていない。
上段でこのことを論じ、下段に、「北本市への移住を促進する攻めの政策」という見出しの記事が掲載されていた。ゆかりが示したのはこの記事であった。
ゆかりは、先程新田に見せられて、ざっと目を通しただけなので、執筆した本人から説明してもらうのが速いと考えたのである。
「考え方を示しただけで、具体的、決定的な政策提案ではないんですよ。まあ、見出しは誇大広告ですかね」
高木は、バツが悪そうにそう言った。
「確かに考え方ですが、これまで北本市が取り入れてこなかった有力な方法論だと思います」
謙遜する喬木を新田がフォローした。

18.

「マーケティングというと、商品を売るための技術だと思っていましたが、人口増加の政策にも活用できるんですか?」
ゆかりの疑問ももっともである。
「パナソニックの創業者松下幸之助さんが、マーケティングとは何かを社員に説明されて、商売のことじゃないかと言ったというエピソードがあるように、元々民間企業の経営活動を対象としたものですね」
高木は、行政分野のマーケティングについて説明を始めた。
行政分野のマーケティングに関して、最初に話題になったのは、千葉県流山市にマーケティング課が設置されたことである。また、宮崎県日南市では、マーケティング専門官という役職を設けている。
「私も、学者じゃないので、そもそもマーケティングとは何かを論じるつもりはありませんが、ここに取り上げたSTPは、マーケティングの初歩の理論ですから、せめて、これだけでも活用して欲しいと思っています」
市政リポートで紹介されていたのは、セグメンテーション、ターゲティング、ポジショニングの頭文字をとったSTP理論であった。
セグメンテーションとは、想定顧客のグループ分けのことである。ターゲティングとは、分けられたグループの中から、標的を選ぶことである。ポジショニングとは、競争相手と比較したセールスポイントを明確にすることである。
市政リポートでは、このSTPを「例えば」として以下のように説明していた。
<県南部に住む、中堅企業に勤める30代の共稼ぎの夫婦を標的グループとして、駅から近くにリーズナブルな戸建てまたは分譲マンションが入手できる北本市と、ポジショニングする>
補足すると、県南部であっても、駅からバスなどで20分もかかるのであれば、通勤時間トータルは、北本市の駅近くのと住宅と変わらないということである。
「それと、高木さんのGNN理論もありましたよね」
新田はそう言って、首を傾げるゆかりに対して、高木の代わりに説明した。
Gとは群馬県、最初のNは新潟県、最後のNは長野県のことである。
北本市は、東京の上野と群馬県の高崎を結ぶ高崎線沿線に位置するが、高崎線は、その先で上越線で新潟県へ、信越線で長野県へと向かっている。
高木のGNN理論とは、群馬県・新潟県・長野県出身者が首都圏で勤務する場合、ふるさとへの帰路上にある地域に住む傾向にあるという理論である。

19.

「理論なんて言われると恥ずかしいけど、実際の傾向ですよ。北本市には、15近くの県人会があって、会員が多い県人会は、この3県なのは事実ですね」
高崎線沿線の場合だけでなく、常磐線沿線は茨城県や福島県東部、東北線沿線は栃木県や福島県西部、中央線沿線は山梨県や愛知県、東海道線沿線は静岡県や愛知県出身者が多い傾向があると思われる。
お盆や正月の帰省の際に、「少しでも近く」と言う心理が働くからではないだろうか。
「問題は、机上ではセグメンテーションとターゲティングはできるとしても、実際にその人たちをリストアップできるかですね」
高木の説明を受けて、新田がこのような疑問を口にした。
「うーん、リストアップは難しいかもね。やるべきことは、効率的なメディアを見つけることじゃないかと思っているんだけど」
新田の疑問に、高木がこう答えると、ゆかりが、「メディアというと?」と、訊ねた。
「新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、最近では、ホームページやSNSもありますね」
高木の説明によると、新聞や雑誌にも、業界ごとの新聞や雑誌や、趣味ごとのものがあり、テレビも総合から特化したものまで、正に多チャンネル化が進んでいる。
若い頃、広告代理店に勤務していた高木は、旧メディアについては、それなりに活用方法をイメージできたが、インターネット関係のメディアについては、よく分からないと本音を語った。専門家の助けを借りる必要があると、新田は考えていた。
「兎に角、高木さんの提言は、あくまも例えばで、グループ分けの方法や、どのグループを選ぶかに関しては、相当議論をしていかなければいけませんね」
新田がそう言うと、高木は大きく頷いた。
「あのー、ちょっといいですか?」
暫く聞き役に回っていた大沢ゆかりが、小さく挙手するようにしてから発言した。
「STPのことは、概ね分かった気がするんですが、順番として、STの前にPが必要なんじゃないかと思うんですよ。例えば、北本には里山的な自然が多く残っていて、地盤がしっかりしていて、大宮台地の高台にあって、地震や水害などの災害に強いまちですよね。そうすると、里山的な自然が好きか嫌いか、通勤に少し不便でも、安全がいいと考えるか考えないか、このようなこともSTに関係してくると思うんですけど、違いますか?」
ゆかりは、少し興奮気味にこう言った。

20.

「大沢さん! 鋭いですね。あれ、前にも言ったかな?」
高木は、新田と顔を見合わせてそう言った。
「価値観の違いによるグルーピングですね。そう言われて、RFM理論のことを思いだしました」
高木の説明によると、RFM理論とは、ダイレクトマーケティング、あるいはデータベースマーケティング分野の基礎理論である。
ダイレクトマーケティングは、1980年代にアメリカで発展したものである。特徴としては、顧客名簿を整備して、当時はダイレクトメールで商品を案内して、注文を受けるビジネスモデルであった。
それ以前の通信販売との違いは、顧客名簿に購買の実績を付加していくことである。
この購買実績を記録していく労力を正当化するのがRFM理論であった。
Rはリーセンシィ、つまり最近度、Fはフリークエンシィ、つまり頻度、Mはマネー、つまり累計金額である。
1970年代、コンピュータの能力が格段に向上し、価格が低下していった時代、顧客名簿がデジタルデータ化されていった。
当初、氏名と住所に加えて、年齢・性別・人種・職業・年収などの属性データを、大変な労力を費やして集め、入力していった。
しかし、このようなデモグラフィックデータと呼ばれるデータはあまり役に立たなかった。
そして、様々な分析することによって、このような属性に関係なく、顧客は自分の好みのものを繰り返し買うことが判明したのである。
例えば、15歳のイタリア系の少年であっても、80歳のアフリカ系の女性であっても、バロック音楽が好きな人は、このジャンルのCDや関連書籍を繰り返し購入するということである。
そして、最近買った人、繰り返し買っている人、累計金額の高い人への案内が効率的であることがRFM理論として定着したのである。
「大沢さんの言うように、価値観によるグルーピングの考え方は、昔からあったし、実際に活用されてきたわけですね。それと、顧客データベースを活用するので、データベースマーケティングと呼ばれるようになり、最近では、単純に同じ商品の反復購入だけでなく、関係なさそうな二つ商品の間にある関係性まで分析して活用するようになっているようです」
新田は、高木の説明を聞きながら、消滅可能性都市を脱却するために。マーケティングなどの新しい考え方を取り入れなければならないと感じていた。