第五章 秩父巡礼

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 秩父という言葉から人々は何を思い浮かべるであろうか。
 関東圏であれば、秩父夜祭りなども知られているが、全国的にみれば、テレビや新聞などでもっとも多く露出されるのは、「秩父宮ラグビー場」としての秩父ではないだろうか。その秩父宮家は、昭和天皇の弟君であった雍仁(やすひと)親王誕生により、九十年ほど前に創設された宮家である。その秩父宮雍仁親王が「スポーツの宮様」と称されるほど、スキーやラグビーなどの振興に尽力されたこともあり、国立競技場ラグビー場にその名が冠されている。この宮家は、妻の勢津子さんの死去により、平成七年に途絶えている。
 このように、秩父は宮家の名称として使用されたことからもわかるように、朝廷との関係が深い地域である。年代的には誇張されていて定かではないが、二千年近く前に、すでに皇族が国造として赴任している。年代が確認されているということで言えば、八世紀初頭、秩父から朝廷に献上された銅により、和同開珎が鋳造され、本格的な貨幣流通が始まったという記録がある。まだ、関東が武蔵野の原野であり、近畿圏から見て、辺境の地であった時代のことである。
 そもそも、現在でこそ「秩父」と表記するが、古くは「知知夫」と記していた。その由来は、銀杏の木の古称である「ちちの木」からであるという説と、「鍾乳洞」の「乳」からという説がある。
 その後、秩父は平安時代から昭和十年代にかけて、秩父銘仙と言われる絹織物で名を馳せている。桐生、足利など関東の五大養蚕業の産地の中でも飛び抜けた生産量を誇り、実質的な盟主であったという。そして、この圧倒的な経済力を背景に、政治や文化の面でもパトロン的な役割を演じてきたのが秩父であった。現在、秩父の名を知らしめている、「日本三大観音霊場」にしても、京都祇園祭り、飛騨高山祭りと並ぶ日本三大曳山祭りである「秩父夜祭り」にしてもその時代の遺産と言える。

 JBCテレビの佐藤健一と帝都大学病院の染谷百合子は秩父札所巡りに来ていた。
 昨年の九月に笠原令司と清水あけみは、JR高崎線と秩父鉄道を乗り次いで、秩父を訪れている。東京からであれば、西武鉄道秩父線の方が乗り継ぎもなく速いが、さいたま市に住む清水あけみのことを考えてのことであろう。二人は浦和経由で熊谷まで行き、そこで秩父鉄道に乗り換えて秩父に向かっている。
 佐藤と百合子の二人も同じ旅程を選んだ。
 清水あけみが染谷百合子に送ったメールによると、あけみは笠原令司と秩父の三十四札所を順番に巡る計画を立てていたようである。しかも、その計画はほとんど歩いて巡るというものであった。近年は、団体であれば、バスを仕立てて、少人数であれば、タクシーで札所の近くまで赴く。そして、わずかな距離だけを歩くことが多い。
 佐藤と染谷百合子は、電車の旅と同様、あけみたちが歩いたと思われる行程を辿ってみることにした。
 秩父鉄道の秩父駅の二つ手前に、黒谷という駅がある。駅員が二人いるかいないかの、絵に描いたような田舎の駅である。その黒谷駅で降りて、暫らく国道一四〇号線沿いに歩き、左のわき道に入って、さらにそこまで以上の距離を歩くと一番札所である四萬部寺に到着する。地図で見ると、黒谷駅から四萬部寺までは、直線距離で三キロに満たない。しかし、道はくねっていて、遥かに三キロを越える。それでも、それほどの高低差はないので、高齢者や体が不自由な人でなければ、普通に歩いて約一時間というところである。
 国道は大変な交通量で、佐藤が思っていた静かな山道というイメージからはかけ離れたものであった。さらに言えば、秩父に住む人は怒るかも知れないが、国道沿いにコンビニがあることも驚きであった。二人はそこのコンビニでペットボトルに入った飲料とおにぎりを購入した。
 札所の一番は、正式には誦経山四萬部寺(ずいしょうざんしまべじ)と称し、曹洞宗の寺である。以前は妙音寺という名称であったが、江戸時代に北東の四万部山山中にあった観音堂を移築したことがきっかけとなって、四萬部寺となったとされている。
 二人は、正午まで五分を余して、四萬部寺に到着した。そこで、佐藤は、コンビニで購入したアルカリ飲料の残りを、飲み干した。
「もうすぐ、エーデルワイスのメロディが流れますね」
 染谷百合子は、手水場の近くのベンチに腰掛け、空を見上げながらそう言った。
「エーデルワイスですか?」
 佐藤が聞き返した直後に、かなりの音量でエーデルワイスのメロディが流れてきた。
「あけみさんのメールにあったの覚えていませんか。ちょうど今のように、四萬部寺に到着するとすぐにこの曲が聞こえてきたという…」
「なぜ、エーデルワイスなんか…」
「嫌いなんですか?」
「いえ、好きですよ。いや、そういうことではなくて、何かちゃんとした理由があるのかなってことですけど」
 北島が、後から佐藤に聞いたところによると、佐藤は染谷百合子といると、いつもの自分でなくなるという。
「さあ。でも、あけみさんは最初、四萬部寺の音楽だと思ったけど、十月に来たとき、違う場所でもエーデルワイスが流れてきて、『ああ、正午の音楽なんだ』と気づいたそうです」
「えっ、すると、『秩父の正午』を知らせる曲なんですか。ふーん、ますます理由を知りたくなりますね」
 二人は、清水あけみたちが一年前にしたように、コンビニで購入したおにぎりを食べた。まるで、遠足のようで、佐藤は中学生時代をほのかに想い出していた。あの頃は、遠くから、見え隠れする染谷百合子を目で追っていたが、今は手を伸ばせば、引き寄せることができる状況にある。佐藤はにわかに動悸が高まるのを感じた。
 一番札所から二番札所への行程は、大変な登りで、道は舗装されてはいるが、周りは鬱蒼とした森になっている。普段運動不足の佐藤には過酷なものであった。それに対して、染谷百合子は、それほど息を切らしてはいなかった。日常的にジョギングをしている効果である。
 佐藤が、「もう限界だと」思わず弱音を吐きたくなったところで、「もう少し、がんばれ」という立て札が現れた。確かにそこから数分で二番札所が見えてきた。
 二番札所は、無住の寺で、観音堂のみが木立の中に佇んでいる。その観音堂は、巡礼道から十メートルほど高い位置にあり、そこまで石段を登らねばならない。二人は、そこに登る前に、手水場でタオルを濡らし、汗を拭った。
「ああ、気持ちがいい」
 そう言った染谷百合子の笑顔が、佐藤にはまぶしく思えた。
「さあ、登りましょうか」
 佐藤は声を出し、百合子より先に行こうとして、不覚にもよろめいてしまった。
「大丈夫ですか?」
 そう言って、百合子は佐藤の手を取った。
「大丈夫、大丈夫です」
 佐藤は、体裁の悪さを感じながら、図らずも百合子の手を握ることができたことが嬉しかった。できれば、すぐに手を離すことはしたくなかった。
 その時、かすかにエンジン音がして、車が近づいてくるのが見えた。二人が、石段を登りながら下を見ると、車からは年配の男女が降りてきた。お堂の前で、四人は一緒になり、「こんにちは」とお互いに声をかけた。
 札所のシステムは、本尊である観音様を拝み、境内にある納経所に札を納め、朱印をいただくものである。しかし、山中にあり、無住の二番札所の場合、納経所は山を降りた別のお寺の預かりとなっている。観音堂と納経所の距離は約一キロ半もある。単なる物見胡散でやってきたその男女は、そのことを知らなかった。百合子に説明を受け、その男女は山道を下っていった。

   2

 二人は札所巡りの最初の難所である二番札所の真福寺をクリアして、三番札所の常泉寺へと向かった。今度は一転して下りである。下り始めるとほどなく、「巡礼道」という立て札があり、それに従って車道から右に林の中に入ると、本当の山道に入る。その山道の途中には、樹齢五百年と言われている「岩棚の金木犀」がある。埼玉県の天然記念物に指定されているという。
「ああ、今日はまったくの森林浴ですね。空気がおいしいというか…。そう言えば、フィトンチッドとか言うものだそうですよね、この森林の香りは」
 佐藤は、立ち止まり、何度か深呼吸を繰り返しながら、そう言った。
「確かに、フィトンチッドというのは、植物、その中でも主に樹木が発散する揮発性の物質のことです。森林浴は私達人間が自然を取り戻すことで、フィトンチッドは樹木が与えてくれる恵のように思われがちですが、本当はそうではないのです」
 百合子も立ち止まり、周りの木々を見やりながら、そう言った。
「と言うと…」
「フィトンチッドの『チッド』の部分は、語源的には『殺す』という意味なんです。植物が自分を傷つける昆虫などを殺すために発する防衛物質のことなのです」
「すると、有害なのですか」
「いえ、多くの化学物質がそうであるように、少量であれば、有益なものだと言えます。それに、フィトンチッドは一種類の化学物質だと誤解されていますが、実は、植物が発散する物質の総称なのです。ご存知でしたか」
 百合子は、普段の控えめな話し方とは打って変わって、講義調で話していた。
「いえ、知りませんでした。それでは、実体はどんな物質なのですか」
「例えば、カンファ、リモネン、アルファピネンなど、数え切れないほどあります。特に私はアルファピネンに注目しています」
 佐藤は、百合子の意外な一面を見たように思った。そのことが、態度に表れたのであろうか、百合子が表情を変えた。
「すいません。こんな話をしちゃって…」
 百合子は、決まり悪そうに、山道を先に立って歩き出した。
 暫らく山道を歩くと、平地に出た。人家もそこそこ見受けられるようになった。そして、ほどなく、二番納経所の光明寺に辿り着く。この光明寺は札所ではないが、むしろ札所であるいくつかの寺を傘下に置くほどの格式の高い寺であるという。そこから、二十分ほどで、三番札所である常泉寺に至る。光明寺に到着して、時刻を確認すると、二番で少し休んだこともあり、午後二時になっていた。
「あけみさんたちは、九月には三番までしか歩かなかったんでしたね」
 清水あけみと笠原令司は少なくとも、昨年の秋九月・十月・十一月の各一回、秩父の札所巡りをしている。最初の訪問である九月には、今回と同じような時間の使い方をしたに違いない。とすると、かなり早い時刻で、巡礼を切り上げたことになる。そう思って、佐藤は染谷百合子に話しかけた。
「ええ、そうだと思います」
 百合子は、少し言葉を濁すような言い方をした。
「でも、まだ二時ですよ。疲れたんですかね」
 自分が二番札所の手前で、ダウンしそうになったこともあり、佐藤は何気なくそう考えた。
 実は、染谷百合子は清水あけみたちが早めにその日の行程を切り上げた訳を知っていた。しかし、佐藤には話しにくいことであった。
 後で、北島が佐藤から聞いた話では、四番札所へ向かう途中で佐藤にもその理由がわかったそうである。巡礼道近くにラブホテルがあり、二人はそこで時を過ごしたに違いなかった。佐藤と染谷百合子は、途中にあったそのラブホテルの看板に気付きながら、気付かないでいる演技をしていたそうである。
 札所から札所への道は巡礼道と呼ばれ、道の角々には、小さな石碑のような、あるいは、おにぎりのような形をした道標が見受けられる。その道標は巡礼石と呼ばれ、遠い昔、主に江戸や現在の関東圏から秩父に巡礼に訪れた人々が寄進したものであった。時を経て、持ち去られたり、土に埋もれてしまったものもあるに違いないが、現在でも百近くが確認できる。
 二人は、清水あけみたちが昨年十月に訪問した四番札所の金昌寺に向かった。途中、山田温泉の横を抜けて、秩父ふるさと歩道橋を渡る。橋の下には、荒川の支流である横瀬川が流れていた。そこから、十分足らずで金昌寺に到着する。
 金昌寺は、もし、巡礼者たちに対して人気投票をお願いしたとしたら、かなり上位に来るに違いない札所である。境内の裏手がちょっとした山になっていて、その傾斜地に全国から寄進された千三百体以上の石仏が並び、一種独特の雰囲気を醸し出している。
 観音堂の前には、マリア観音とも呼ばれる乳飲み子を抱いたエキゾチックな石仏があり、特に女性には忘れられない札所と言える。
 観音様を拝み、二人がお堂の裏手の石仏の近くまで来たとき、百合子が急に身を震わせると、その場にしゃがみ込んでしまった。
「百合子さん、どうしたんですか」
 佐藤はそばに駆け寄った。
「何か、急に…」
「急に?」
「ええ、急に、あけみさんの想いが…」
 染谷百合子は手をクロスするように胸を抱き、眼を閉じたままそう言った。その瞬間、佐藤もゾクッとするものを感じた。すでに初夏に近いとは言え、確かに木立に囲まれたその辺りは肌寒い。しかし、染谷百合子と佐藤がそう感じたのは、気温のせいではないようである。
 昨年の九月に清水あけみと笠原令司はこの地を訪れ、今、二人が今見ている石仏たちを、同じように眺めたに違いない。その石仏たちにはほとんど、首がなかった。心無い人々が持ち去ったのであろうか。それとも、持ち去るには、それなりの理由があったのであろうか。
 二人の悪寒はしばらくすると治まった。境内の明るいところに戻ってくると、そこには、むしろ清清しい空気が満ちているように感じられた。
「あれは、何だったんですかね」
 佐藤は百合子に訊ねた。
「佐藤さんはどう感じたんですか」
 逆に百合子が訊き返した。
「僕は、ただゾクッと来たというか…。百合子さんは、確かあけみさんの想いが、と言いましたよね」
「ええ、そんな気がしたんです。寂しいという声が聞こえたような気がして…」
「寂しい、ですか」
 百合子はゆっくりと頷いて、二人は、一瞬沈黙した。
「確か、観光案内には、多くの石仏があることは書かれていましたが、石仏の頭部が無くなっていることは書かれていませんでしたね。それが、寂しかったんでしょうか」
 佐藤は遠くを見るようにして、そう言った。
「さあ、どうなんでしょうか。それに、あけみさんの声だなんて、私の思い込みだと思います」
「そうでしょうか」
「そうですよ。マリア観音と木立の中の石仏たちを見て、私が感傷的になったから、そんな気がしてしまっただけです」
 二人は、もうその話題には触れず、金昌寺を後にした。

   3

 佐藤健一と染谷百合子の二人は、五番札所、六番札所、七番札所と巡礼道を口数少なく歩き続け、八番札所である西善寺に到着した。西善寺は武甲山の上り口のような位置にあり、樹齢六百年になろうというコミネモミジが境内で威容を誇っている。
 本堂前の賽銭箱の横に大きな板が立てかけられていて、「おんまかきゃろにきゃそわか」と書かれている。
「そう言えば、七番札所にもありましたね」
 佐藤が百合子の方へ振り向きながら言った。
「『おんまか』は接頭語のようなもので、後半はご本尊の梵語読みじゃないでしょうか」
 百合子は首を傾げながらであったが、そう答えた。
「ご本尊というと…」
「十一面観音様ということですよね」
「十一面観音…」
 佐藤は暫らく、腕を組んで下を見つめていたが、俄かに顔を上げると「百合子さん、そのガイドブック見せてください」と言って、百合子の手から『秩父巡礼ガイド』を奪うように取った。
「そうか。わかったぞ」
 佐藤は興奮してそう叫んだ。
「何がわかったというんですか?」
 百合子は驚いて、佐藤の顔を見つめた。
「そういうことだったんだ。笠原が秩父札所に興味を持ったのは…」
 百合子が訊ねても、佐藤は興奮して、暫らく答えようとしなかったが、ようやく百合子の不安そうな顔を見て、われに返った。
「ああ、すみません。ほら、十一面観音ですよ」
「十一面観音?」
「そう、笠原令司がなぜ秩父札所巡りをしたのか、ずっと疑問だったけど、ここに来てわかったんですよ、その理由が」
「その理由?」
「ここを見てください」
 そう言って、佐藤はガイドブックで一番札所、二番札所、三番札所が紹介されているページを開いた。
「いいですか。ここに、宗派と本尊が記載されていますが、一番から三番は、すべて曹洞宗で聖観音です。ところが、四番札所の金昌寺の場合は、宗派は同じ曹洞宗ですが、本尊は十一面観音。ああ、どうして、ここで気づかなかったかな」
 佐藤は、右の拳で自分の頭を叩いて悔しがった。
「……」
「えーと、次の五番の語歌堂は臨済宗南禅寺派で准胝観音、六番卜雲寺は曹洞宗で聖観音、そして、七番法長寺は曹洞宗で十一面観音、そして、ここ八番西善寺は臨済宗南禅寺派ですが十一面観音」
「そうですね。四番、七番、八番の本尊は十一面観音…」
「そう、十一面観音。いいですか、一人で十一の顔を持っているんですよ、ここの観音様は」
「一人で、十一…。あっ、多重人格」
 自分でそう言って、百合子は背筋に鳥肌が立つのを感じた。
「もしかしたら、四番で僕達が感じた悪寒は、このためだったのかも…」
 佐藤は、先ほどのことを思い返していた。
 二人は、コミネモミジの前のベンチに腰掛けて、先ほど途中まで確認したガイドブックで、全ての札所の本尊を調べてみた。
「十一面観音は、この後、十一番、十五番、十七番ですか。あれ、その後はありませんね。そうすると、三十四の内、六つということですか。へー、前半の十七に六つ全てがあるということですか」
 佐藤は、一人で盛んに頷いていた。
「そうだ。あけみさんたちは、三回秩父に来ていますが、もしかして、札所巡りは十七番が最後だったのではないですか」
 佐藤にそう訊ねられて、百合子は、あけみからのメールをプリントアウトしたものをバッグから取り出してページを捲った。
「ええ、確かにそうです。十七番の定林寺が最後です」
「つまり、二人、いや笠原令司の目的は、十一面観音だったということです。だから、十八番以降は巡礼する必要がなかったということです。もっとも、十一面観音を見ることにどんな意味があったのかはわかりませんが…」
 佐藤は、大きく頷きながらそう言った。
「そうですね。去年は午年で厨子が開帳されていましたから、遠目ながら、観音様のお顔が見れたのは確かですが…」
「ああ、午年総開帳。そういうこともありますね。まあ、でも、十一面観音だけを見るのなら、六箇所だけ見ればいいわけですし…」
 先ほどの興奮が少し治まり、新たな疑問が生まれた。

   4

 時刻は午後五時に迫っていた。佐藤は笠原の秩父訪問の目的が十一面観音だったことを伝えるために、北島に電話した。秩父の山の中でも携帯電話が使えることは驚きであった。
「JBCの佐藤です。笠原令司と清水あけみさんが秩父に来た目的がわかりました」
 佐藤は、勢い込んでそう言った。
『十一面観音ですか?』
「えっ」
 佐藤は、北島の言葉に驚いた。「えっ」という言葉は北島の口から出るべき言葉であった。
「ど、どうして、わかったんですか?」
 佐藤は訊ねた。
 北島は、新宿若葉町の住田忠明殺害現場の近くには、江戸三十三観音の一つがあり、その観音様が十一面観音であることを話した。また、笠原令司の自宅玄関に、笠原令司が購入したと思われる十一面観音像が飾られていたことも告げた。
「それで、秩父札所巡りが十一面観音を見るためのものだと考えたわけですね」
『実は、うちの課長は秩父巡礼に詳しくて、若葉町と笠原の自宅に十一面観音があることがわかると、すぐに秩父札所にも六箇所、十一面観音があることに気付いたわけです』
「六箇所ということも…。そんなに詳しいのですか。驚きました。こちらは、ガイドブックで数えてみて初めて知りましたから」
『実は、今回の事件と秩父との関わりはそればかりではないんです。若葉町の凶器なんですが、これが秩父に関係がありそうなんです』
「えっ、凶器がですか」
『詳しいことは電話ではなんですから、今日、東京に戻られたら、どこかで会えますかね?流石に、うちの署じゃまずいと思いますが…』
「わかりました。そういうことなら…」
 佐藤は、人目に付かない場所を指定して、北島と午後七時半に落ち合うことに決めた。
 佐藤が、すでに警察が十一面観音に気付いていたことを告げると染谷百合子は半分感心しながら驚いた。
「警察にも、観音様に詳しい人がいるんですね。そういう人はいないと思っていました」
「それは偏見ですよ。警察官とは言え、様々な人生を送っているわけですし…」
「そうですね。様々な人生がありますよね」
 清水あけみのことを思ってか、百合子は目を伏せてそう言った。
「さあ。それでは、帰りましょうか」
 佐藤はそう言って、ガイドブックの地図で現在位置を確かめた。
 八番札所の西善寺は、秩父市ではなく、秩父郡横瀬町根古屋という地番で、最寄りの駅は西武鉄道の横瀬駅である。歩くと、三十分以上はかかりそうであったが、幸いにして、空車のタクシーが通りかかり、特急の始発に乗れる西武秩父駅に行くことができた。
 朝、熊谷経由で秩父鉄道を利用したのは、清水あけみたちの行程を辿ったためである。実際は、東京の新宿付近からであれば、池袋に出て、そこから西武池袋線とその延長である西武秩父線を利用した方が一時間以上早く秩父に到着できる。
 熊谷経由で秩父鉄道というローカルな交通機関を利用したため、佐藤は秩父が東京からかなり北に位置しているように錯覚していた。しかし、実際に東京と埼玉の地図を見ると、熊谷と比較してかなり南にあることがわかる。つまり、秩父鉄道は、熊谷からしばらくは真西に向かい、寄居辺りから、南西に折れていることになる。
 秩父市は高々人口六万人ほどの規模の市であるが、中心市街は、小京都の一つに数えられるほど、歴史と風情のあるまちである。現在でこそ、それなりの道路は、拡幅され、舗装されているが、街区の中は、自動車が入れないほどの路地が、迷路となって町並みを形成している。
 秩父鉄道の秩父駅は、名前から言えば、まちの中心と思われるが、そうとも言えない。駅前こそロータリーが整備されているが、繁華街という意味では、熊谷から見て、もう一つ奥にある「お花畑」駅付近の方が中心といえる。さらに、池袋から北上してきた西武秩父線の終点である「西武秩父」駅は、その「お花畑」に隣接している。西武鉄道は、「お花畑」との間に、アーケードの商店街「仲見世通り」を作り、観光客を集める工夫をしている。
 毎年、十二月三日に行われる秩父夜祭りの時は、「西武秩父」駅と「お花畑」駅付近は、数え切れないほどの夜店が軒を連ねる。京都祇園祭、飛騨高山祭と並んで「日本三大曳山祭」の一つに数えられる、秩父夜祭りは十七世紀に、秩父神社例大祭の「付けまつり」として始まっている。その当時、絹太市という絹取引のイベントがあり、その最後を飾る一大行事として発展したと言われている。
 思えば、長い一日であった。そして、その旅の目的はともあれ、佐藤にとっては、こんなに長い時を染谷百合子と過ごすことができたことは大きな喜びであった。

   5

 発車時刻まで、わずかに時間があったので、佐藤は西武秩父駅の近くで書店を見つけて、十一面観音のことがわかる本がないか探してみた。仏教事典や巡礼に関する本の中に、十一面観音についての記述がないかという程度をイメージして書架を検索したのであるが、そのものずばりという本を見つけて驚いた。それは、白州正子著『十一面観音巡礼』という講談社文芸文庫の一冊であった。
 著者の白州正子氏は、明治四十三年に、貴族院議員であった樺山愛輔の娘として生まれ、アメリカのカレッジを卒業して、後に東北電力会長となる外交官の白州次郎と結婚している。能や着物、古典文学など日本文化に関する多くの著作がある。さらに、「巡礼の旅・西国三十三ヵ所」「明恵上人」などの仏教に関する著作も少なくない。
 佐藤健一と染谷百合子の二人は、西武秩父線の特急レッドアロー号に乗車すると、並んで腰掛け、その『十一面観音巡礼』のページを開いた。
 その本の冒頭には、十一面観音の起源が以下のように記述されていた。
『十一面観音の起源はインドの十一荒神と呼ばれるバラモン教の山の神でひとたび怒ると、霹靂の矢を持って人畜を殺害し、草木を滅ぼすという神であった』
 そもそも、仏教が時代を経て、様々な如来や菩薩を生み出していったわけであるが、観世音菩薩は、紀元前後に北インドの民間信仰として出現し、東へと伝播していったと考えられる。その時点では、十一面観音や千手観音などの変化観音は存在しなかった。このような変化観音と呼ばれる観音が登場するのは、紀元六世紀以降、ヒンズー教の影響を受けてのこととされている。十一面観音は起源が山の神ということもあり、日本でも、山の近くに祀られているとも書かれていた。確かに、そうかも知れないと佐藤は思った。
 一般的な十一面観音には、ちょうど王冠の飾りのように、九つの顔が額の上の部分に頭部を巡るように付いている。頭頂部には、阿弥陀如来の小さな頭部が加わり、元の顔と合わせて、十一面となる。しかし、このおどろおどろしい仏像は、仏師たちのイマジネーションを刺激したのか、様々なバリエーションが生み出されている。
「白州正子さんは、十一面観音に魅せられた人だったのですね。十一面観音だけで、こんな大著を著してしまうのですから」
 百合子は、羨ましそうに、微笑んで言った。
 二人で小さな文庫本を読むために、佐藤と百合子は自然に頬を寄せ会っていた。百合子は意識していないようであったが、佐藤の方はかなりの動悸を覚えていた。
「そうですね。でも、この本は文庫にしては値段が高いと思いませんか。千百円なんて。あれ、十一ですね」
「本当ですね。まさか、十一面観音に合わせた値段なんでしょうか」
 二人は、顔を見合わせて笑った。
 二人が乗車している西武鉄道が秩父まで運行するようになったのは、昭和四十四年、西暦で言えば、一九六九年のことである。その年は、日本では東京大学本郷キャンパスにある安田講堂で、学生と警察機動隊との激闘があり、世界的にはアポロ十一号が月面着陸に成功した年であった。勿論、まだ佐藤健一も染谷百合子も生まれていない。
 西武秩父線開通当時、特急が赤く塗装されていたので、レッドアローというニックネームが付いた。その後、塗装の色は変わってしまったが、そのニックネームは残った。二人が乗ったレッドアロー号は、正式には特急ちちぶ三十四号、午後五時二十五分に秩父を出て、飯能を午後六時ちょうど、所沢を六時二十一分に通過して、午後六時五十分に池袋に到着する。まだ、一時間以上、百合子と一緒に居られることが佐藤には嬉しかった。
「そう言えば、昨年九月にあけみさんたちが秩父を訪問した時、帰りの電車で小さな事件がありましたね。メールに書かれていましたが…」
 清水あけみと笠原令司の二人は、少なくとも九月の秩父旅行には、往復とも秩父鉄道を利用している。その帰りの電車の中でちょっとした出来事があった。
「ええ、途中の駅で目の不自由な方が、盲導犬と乗車してきて、笠原先生が席を譲ったということでした」
「確か、あけみさんは突然のことで、何もできずにいたのに、笠原令司は、瞬間的に立ち上がり、席を譲ったということでしたよね」
「ええ、あけみさんの隣の席に目の不自由な方が座り、盲導犬がその方の足の下にもぐりこんで、隣のあけみさんの足の下まで占領してしまったということです」
 清水あけみは、自分が動けなかったことが恥ずかしかったことと、盲導犬の健気さに感動したことをメールに書いている。
「計算して善人ぶるとしたら、そんなに咄嗟に動けないと思うんです。事実、あけみさんは立ち上がれなかったわけですから」
「私もそう思います。あけみさんは、きっと、笠原さんのことがますます好きになったに違いありません」
「そうですよね」
 二人は、深く頷き合った。
「少なくとも、その頃までの笠原令司からは、メールの内容からしても、凶悪さとか狂気とかは感じられなかったわけですよね」
「ええ」
「すると、その後、ほんの二ヶ月の間に何かあったということなんでしょうか」
「十月、そして十一月の秩父訪問で、あけみさんのメールから、彼女が不安定な状態になっていったことが窺えます。佐藤さんもお読みになったように、笠原先生の人格スイッチングらしきものを見たことも書いています」
「やはり、十月と十一月の秩父訪問が鍵ですね」
 佐藤の言葉に百合子は深く頷いた。

   6

 特急レッドアロー号は午後六時五十分に池袋に到着した。心残りではあったが、佐藤は染谷百合子と別れて、北島との待ち合わせ場所へと急いだ。百合子は、研究室に顔を出すということであった。多くの大学の研究室がそうであるように、朝は遅く始まり、その結果、夜も遅い。
 佐藤は目白の学習院大学に隣接した住宅街の中にある小料理屋に北島を誘っていた。ややもすると店の前を素通りしてしまいそうな、言わば隠れ家的な店である。佐藤が七時二十分に到着して、五分ほどして北島が訪れた。
「しゃれた店をご存知なんですね」
 北島は、通された個室で、上着を脱ぎながらそう言った。その店の中は、昭和三十年代の調度品をベースにした造りになっていた。
「ええ、うちの上司が、先方と折り入った話があるような場合に利用させていただいている店です。言わば、会員制で予約制の店です。勝手ながら、料理もこちらで決めさせていただきました」
「それは構いません。ほとんど好き嫌いはありませんから」
 北島を上座に座らせ、その正面に佐藤が座った。佐藤はすでにビールを注文してあったようで、すぐに、ビールとお通しが運ばれてきた。
「今日はお疲れ様でした」
 北島は、固いことは言わず、注がれたグラスを持ち上げて、佐藤の労をねぎらいながら、一息にビールを飲み干した。
「本当に疲れました。百合子さんといると尚更です」
 佐藤はビールを半分ほど飲んで、大きくため息を付きながら言った。
「ほう、それはまたどうしてですか?」
 北島はその訳を知りながら、惚けて訊いた。眼は笑っていた。
「何でですかね。中学、高校と彼女に憧れていた時の自分に戻ってしまうというんですか。こんなことを言うのも変なんですが、この何年かの僕は、ひどい男なんですよ」
「ひどい男?」
「ええ、女性に対して優しくないっていうか、利用するだけ利用しているというか。ちょっと、話しにくいことなんですが…。それが、彼女の前では、まるで純情な高校生です。帰りの電車でも、文庫本を二人で読むために頬が近づいただけで、鼓動が高まるんですから」
「鼓動がですか」
「自分でもよくわかりません」
 佐藤は、盛んに首を振った。
「まあ、それも人格のスイッチングだと思いますよ」
「非解離性多重人格ですか。天野先生のいうところの…」
「ええ、染谷さんといる時は、彼女に関する記憶が引き出され、その当時の感じ方をトレースしているんじゃないでしょうか」
「うーん。そうかも知れません。でも、北島さんも、まるで精神科医のようですね」
「よしてくださいよ。天野さんの受け売りですよ」
 北島は、顔の前で手を振りながらそう言った。
「ところで、まず、秩父でのことを話してくれませんか」
「ええ、私達は…」
 佐藤は、清水あけみと笠原令司が昨年九月に秩父を訪れた際の行程を辿り、JRを利用して浦和経由で熊谷へ行き、秩父鉄道に乗り換えて、黒谷駅で降りたことを話した。清水あけみたちは、九月の訪問では、黒谷駅を下車して、一番札所、二番札所、三番札所まで歩いていた。十月の訪問では、秩父鉄道の秩父駅からタクシーで三番札所に行って、そこから歩き始め、九番札所の明智寺まで巡礼していた。佐藤と染谷百合子は、八番札所の西善寺まで巡ったわけであるから、清水あけみたちのほぼ二日分を歩いたことになる。
「なるほど、そういうことですか」
 佐藤が三番と四番の間のラブホテルに気付いたことを話した。
「おそらく、そういうことでしょうね」
 北島は頷きながら、そう言った。
「それで、十一面観音のことですが、秩父の三十四札所の場合、一番札所から三番札所までは、聖観音が祀られています。十一面観音が登場するのは、四番札所の金昌寺からなんです。実は、そこで事件が起こりまして…」
 佐藤は、染谷百合子が急にしゃがみこんでしまったこと、佐藤自身も悪寒がしたことを話した。
「十一面観音に気付く前ですよね」
「ええ、ドジなことに、八番札所まで気付かなかったんです」
「でも、二人の頭の中で囁きが聞こえたのかも知れませんね」
「囁きがですか?」
 佐藤が驚いて訊ねた。
「その時点で、すでに気付いていた人格があなたたちの中にいたということです」
「天野理論にすっかり嵌っていますね。北島さんは…」
 佐藤は思わず笑ってしまった。
「いや、まだ半信半疑といったところですが…」
 北島は真顔で言った。
「話を戻して、九月の秩父訪問の時点では、清水あけみさんと笠原令司の二人は、非常にいい関係だったということですね」
「ええ…」
 佐藤は、帰りの電車でのエピソードのこと、染谷百合子が、あけみが笠原のことをますます好きになったにちがいないと言ったことを話した。
「いい関係だったからこそ、三番札所までしか巡礼できなかった。その結果、九月には十一面観音には行き着いていなかった…」
「そう、北島さん、それですよ。十月の訪問では、四番から九番、そのうち、えーと、四番、七番、八番が十一面観音を祀っています。六つのうち、三つが十一面観音です」
 佐藤は、染谷百合子から借りてきた秩父札所巡りのガイドブックで確認しながら、やや興奮して言った。
「つまり、笠原が変調を来たし、清水あけみとの関係がおかしくなったのは、十月の秩父訪問で十一面観音に出会ったからということですよ」
 佐藤は、大きく頷きなから言った。
「なるほど。そうすると、考え直さなければいけませんね」
 北島はそう言って、腕を組んだ。
「何をですか?」
 佐藤が戸惑いながら、訊いた。
「秩父から、電話をもらいましたよね」
「ええ」
「佐藤さんは、あの時、笠原の秩父訪問の目的がわかった、と言いましたね」
「ええ、十一面観音。でも、先に北島さんに言われちゃいましたが…」
「結果的には、確かに、十一面観音なんですが、それならば、十一面観音が祀ってある札所だけを訪ねればよかったんじゃないですか」
「ああ、言われてみればそうですね。なぜですかね」
 佐藤も、北島と同じように腕を組んで考え込んだ。
「考えられることは、笠原令司自身も、十一面観音が目的だとは知らなかったのではないかということです」
「えっ、本人が知らなかった。そんなことが…」
 佐藤は絶句した。

   7

 北島と佐藤がしばらく沈黙していると、「失礼します」という声がして、襖が開き、店の女将が料理を運んできた。
 二人は、姿勢を正し、座りなおした。
 料理を座卓の上に並べ終えると、女将は「どうぞ、ごゆっくり」と挨拶して出て行った。込み入った話がないときは、一品づつ配膳するのであるが、その日は予め、佐藤が一度に配膳するように頼んであった。
「ところで、夕方の電話では、凶器の出所がわかって、それが秩父と関係あるということでしたが…」
 佐藤は、料理に箸を付けながら訊ねた。
「ええ、そうです。でも、その話をする前に、念のために確認しておきますが、佐藤さんが、マスコミの人間としてではなく、染谷百合子さんの友人として、この事件に関わるのは、いつまでのことになりますか」
 北島は表情を固くして訊ねた。
「難しい質問ですね。正直に言って、僕にも迷いがあります。十一面観音が事件に関係しているということは、特ダネ中の特ダネですからね。まして、その前に、容疑者山野晃子の主治医本人が多重人格、いえ、解離性同一性障害の可能性が高いことさえも、世の中に知られていないわけですから、今すぐにでもJBCイレブンのプロデューサーのところに飛んで行きたい気持ちです。でも、それでは、百合子さんと北島さんとの信義にもとることになります。辛いところですね」
 佐藤は、苦しい胸のうちを打ち明けた。
「ご存知のように、この事件は前代未聞というべき事件です…」
 北島は、自分自身、これまでの事件の経緯を再確認するように話し始めた。
 始まりは、新宿区若葉町での木刀による撲殺事件であった。すぐに、山野晃子という容疑者が浮かび、その容疑者が解離性同一性障害と診断されているということがわかった。ところが、そう診断した主治医の笠原令司自身が、解離性同一性障害である可能性が出てきた。そして、笠原令司の失踪。さらに、彼と不倫関係にあった清水あけみの、四ヶ月前の不審な自殺。
「我々捜査陣にしてみれば、始めは単純だと思われた事件が、日を追うに従って、複雑になっていく、いえ、複雑怪奇と言うべきでしょうか…。そんな感じがしています」
 北島は、組んだ腕の両肘を座卓に置いて、俯くように視線を落とした。
「確かにそうですね。でも、笠原令司の所在を突き止めて、事情聴取すればわかってくるのではないでしょうか。ともかく、失踪している笠原令司を確保することですよ」
 佐藤は、二度三度頷きながら言った。それに対して、北島の答えは意外なものであった。
「私には、そうは思えないんです」
「えっ。どういうことですか」
 佐藤の問いかけに、少し間をおいて北島は話し始めた。
「いや、まだ考えがまとまっているわけではないんですが、私の直感が、違うと言っているんです。笠原令司ではないと…」
「刑事の勘というやつですか」
「まあ、そうですね。ああ、そうだ。あの凶器のことですが…」
「ええ、昼間、秩父と関係があると言っていませんでしたか?」
「実は…」
 北島によると、凶器の木刀を年代鑑定したところ、二百年以上経っている事がわかったというのである。そして、それを聞いて、刑事課の岡田課長が、秩父に江戸時代に隆盛を極めた剣術があることを思い出した。それは、甲源一刀流という流派であった。
「甲源一刀流ですか。聞いたことがありませんが…」
 佐藤が、腕を組みながら、そう言った。
「課長より下の世代には知られていないでしょうね。勿論、私も課長から話を聞くまで知らなかったわけです」
 甲源一刀流の「甲源」とは、甲斐源氏からとったものだという。この流派を起こした逸見家は、代々甲斐(山梨県)の豪族で、同盟関係にあった武田家と同様、清和天皇の血筋をひく名門である。
 ところが、大永七年(一五二七年)十世逸見若狭守義綱が武田信玄の父信虎と不和を生じ、一族を連れて領地であった現在の埼玉県秩父郡両神村小沢口に移住したのだということである。
「すると、五百年近く前の流派ということですか?」
「いや、逸見一族が甲源一刀流を起こすのは、それからさらに二百年以上経ってからです。今から、約二百三十年前ということです」
「すると、その木刀が作られたのは、その甲源一刀流が始まって、すぐですか?」
「そういうことですね」
「それで、その甲源一刀流は今でも秩父に残っているんですか」
「ええ、両神村というところに逸見道場が今でもあるそうです。私は、明日、両神村を訪れるつもりです。残念ながら、本庁の刑事と同行しますので、佐藤さんも、というわけにはいきませんが…」
「そうですか。しょうがないですね」
 佐藤は、諦め顔で、何度か小さく頷いた。そして、ふと思いついたように訊ねた。
「ところで、岡田課長さんでしたっけ、その方は、どうして、甲源一刀流などという江戸時代の剣術のことを知っていたのですか?」
「それはですね。課長の子供時代に、大菩薩峠という時代劇の映画があったそうです。課長の父親がその分野が好きだったのか、連れていかれたので、微かに覚えているということでした。何でも、原作は中里介山という小説家の恐ろしく長編の小説だそうなんですが…」
「その映画に甲源一刀流が登場するんですか?」
「ええ、そもそも、その長編小説の冒頭、第一巻が『甲源一刀流の巻』というのだそうです」
「全部で、何巻あるんですか」
「未完の作品だそうですが、二十巻以上だそうです」
「ほう、二十巻以上…」
「それで、主人公は確か机龍之介とか言って、物語の途中で盲目の剣士になってしまうそうです」
「盲目の剣士の物語ですか。その主人公が甲源一刀流の使い手だったということですね」
「ええ、その通りです」
「まあ、その大菩薩峠は事件とは関係ないでしょうが、ちょっと興味がありますね。時間があったら、映画ぐらいは見てみたいですね」
「私もです」
 二人はそう言って、頷きあい、その後は、二人の話は事件から離れて、秩父の自然の素晴らしさがテーマになった。