第六章 事件の背景

   1

 北島と本庁の菊田は、甲源一刀流逸見道場のある両神村を訪ねるため、西武秩父線のレッドアロー号で秩父に向った。西武秩父駅には、両神村を管轄する小鹿野警察のパトカーが迎えに来ていた。警視庁から埼玉県警本部を通じて、協力要請されていたのである。
 埼玉県警察には三十八の所轄署がある。秩父に関して言えば、秩父署と小鹿野署に二分される。秩父署は秩父市、長瀞町、皆野町、横瀬町、荒川村、大滝村の一市三町二村、小鹿野署は小鹿野町、吉田町、両神村の二町一村を管轄している。
 観光客などが両神村を訪れる場合、秩父鉄道とバス・タクシーを利用することになる。まず、秩父鉄道の三峰口駅まで行く。三峰口は秩父駅から西南西の方角へ十二キロほど進んだ終点である。そこからバスかタクシーで二十分ほど北上すると両神村の中心部に至る。しかし、車であれば、秩父市の中心から東へ小鹿野町を経由して十数キロで到着する。
 両神村は、埼玉県のほぼ西のはずれに位置し、北東部は小鹿野町に、南西部は荒川村と大滝村に接している。面積は約七十二平方キロメートル、東西に約十三キロメートル、南北に約七キロメートル、中央を西から東に山脈が走り、村を薄と小森の二つの大字に分割している、と村のホームページにはある。
 村の名前の由来である両神山は標高約千七百二十メートルの山である。奥秩父の山々は全体的に深い原生林に覆われた山が多いが、この両神山は岩が砦のようにそそり立ち、のこぎりの歯のように見える男性的な山として有名である。
 この特異な山容は、古くから山岳信仰の対象となってききたという。山頂には日本武尊が祭ったと伝えられている、イザナギ・イザナミの二神が鎮座し、それで、両神という名前が付いたわけである。この両神山は古くから三峰山、武甲山とともに「秩父三山」と称されている。
 登山道の途中には、修験道や講中が建てた石碑や石像が数多く残されており、信仰登山が盛んに行われていたことが分かる。
「あの、うちの署長がご挨拶をしたいということで、まず、小鹿野署へ行きたいと思いますが…」
 遠慮がちに、出迎えてくれた小鹿野署刑事課長が言った。
「いや…」
 菊田はそう言いかけたが、北島がそれを制止して、
「わかりました。そうしてください」と言った。
「捜査優先ということは理解しておりますが、ご挨拶だけはと申しておりますので…」
 小鹿野署の刑事課長はほっとした面持ちでそう言った。菊田はかなり不満そうな表情を浮かべていた。
「署長は、こちらはもう長いのですか?」と北島が訊ねると、
「いえ、まだ二年目ですが、そもそも、両神村出身でして…」
 という答えが返ってきた。
「そうですか。両神村のご出身ですか」
 北島がそう言って、菊田の顔を見ると、菊田は機嫌を直して、何度か頷いていた。
 小鹿野署に着くと、署長と副署長が玄関まで出迎えていて、大変な歓迎振りであった。
「新宿若葉町の事件の件でいらしたそうで…」
 副署長は、目を輝かして言った。
「ええ、凶器が木刀だということはご存知だと思いますが、年代鑑定をしましたところ、二百年以上前のものだということが判明いたしました」
「二百年以上ですか?」
 菊田の説明に、その副署長はさらに目を見開いて言った。
「ところで、署長は、両神村出身とお聞きしましたが…」と北島が訊ねると、
「ええ、そうです。甲源一刀流の逸見家とは、親戚筋にあたります。もっとも、当代とは玄孫、つまり四代前で繋がっているという関係ですが…」
 署長の斉藤完治は答えた。
 署長の話によると、両神村は今でもそれなりに剣道が盛んな土地で、逸見家と署長の付き合いにしても、親戚というよりも、剣道の師弟という関係だという。
 十分ほどして、菊田がじれてきた頃、
「それでは、ご案内しましょう」と署長自ら、膝を叩いて立ち上がった。
「署長にお付き合いいただくのは、恐縮ですが…」
 北島がそう言うと、
「いや、何しろ、私自身が一番両神には詳しいわけですから」
 そう言って、斉藤署長は先頭に立って、玄関へと向った。
 新緑の木々の中を縫って、ものの二十分ほどで、甲源一刀流逸見道場へ到着した。北島たちが想像していたよりは、二周りほど小さな建物であった。
 署長が、道場に隣接する逸見家の住居へ声をかけると、初老の婦人が出てきて、
「完治さん。久しぶりやね。今日はまたどのようなことで…」
 と、親しげに話しかけてきた。
 その婦人は、逸見家としては二十七代、甲源一刀流を起こしてから数えると九代目の当主の夫人だということであった。
 署長は、詳しい話はせずに、東京からの客人を案内したとだけ告げた。
 道場の中には、天井近くに槍や薙刀が飾られていて、壁には、木刀が数本あった。北島と菊田は、靴を脱いで道場に上がらせてもらい、木刀を確認してみた。二人は、目で頷きあった。
 署長の説明で、道場の中を見ている間に、九代目当主夫人は家に戻り、大きな鍵の束を持って、戻ってきた。
「実は、甲源一刀流の資料館がありまして、見学者があれば、お見せすることになっているんです」
 署長は、そう言って、逸見夫人を促した。
 道場から、道一つ隔てて、白壁の蔵があり、そこが資料館になっていた。
 中には、明治からの代々の当主の肖像写真や古文書、掛け軸、刀剣類や木刀などが陳列されていた。
 当然であるが、ほとんどが古色蒼然とした色合いの中、異彩を放つポスターがあった。『大菩薩峠』という映画のポスターである。夕闇迫る空の色のような濃紺の背景に、真っ白な着流しの侍が中央に大きく描かれ、その右に白く縁取りされた真っ赤な文字で『大菩薩峠』というタイトルが大書されている。
 後で調べてわかったことであるが、この映画は昭和十一年、大河内伝次郎を主役に、日活が制作したものであった。
「ところで、最近、道場かこちらの資料館で紛失したものはありませんでしたか?」
 北島は逸見夫人に訊ねてみた。
「盗まれたものということですか?」
 夫人の代りに署長が聞き返した。
「まあ、そういうことも含めてですが…」と北島は曖昧に答えた。
 夫人は一瞬首を傾げていたが、
「そう言えば、道場で木刀が一本なくなったことが…」と言った。
「それは、いつですか?」と菊田が勢い込んで訊ねた。
「二年、いえ、もう少し前かしらね」
 夫人は、記憶を辿るような表情をして言った。
「二年以上前ですか?」
 北島と菊田は、同時に驚きの表情を浮かべてそう言った。
 北島は、内ポケットから木刀の写真を取り出し、夫人に見せた。
「この木刀ですか? なくなった木刀というのは」
 それを見た夫人は
「ええ、そうだと思います。でも、これがどこに?」
 と言い、署長の方を見て、
「完治さん、どういうことなの?」と訊ねた。
 署長は、いたし方ないという表情で、事件の概要を説明した。
 北島と菊田は、二年前の詳しい話を夫人に求めたが、気付いたらなくなっていたということであった。一度に多くのものが紛失したのであれば、別であるが、その木刀だけだったので、どこかに紛れたと思っていたというのである。
 しかし、二年以上前というのはどういうことであろうか。誰が持ち去り、二年間どこにあったのであろうか。

   2

「えっ、頭蓋骨陥没だって!」
 佐藤健一は、インターネットの画面を見つめながら、思わず声を出してしまった。
 佐藤が見ていたのは、インターネットに公開されている『大菩薩峠』の第一巻『甲源一刀流の巻』である。最近では、著作権が消失している文学作品がインターネット上に全文公開されていることも少なくない。
 この大菩薩峠は中里介山が大正二年から都新聞に連載したものと言われている。途中、繰り返し中断され、掲載紙も変更されたが、著者が亡くなるまで書き続けられ、ついに未完で終わっている。
 主人公の剣士、机龍之介は底が見えないほどのニヒリズムに包まれた人間として描かれ、当時の時代風潮と相まって、大きな人気を博したと言われている。また、その後、ニヒリズムの系譜に繋がる時代劇の主人公として、丹下左膳、眠狂四郎などを生む源流となったと言われている。
 小説の人気を受けて、昭和初期に日活が大河内伝次郎を主役に、映画シリーズを制作している。そのため、実際に小説の読者であった人々の数倍の人々がこの物語に接しているに違いない。その後、昭和四十年代には、市川雷蔵が机龍之介を演じたリメイク作品が上映され、現在六十歳代であれば、おぼろげにでもこの『大菩薩峠』を覚えている人も少なくないと思われる。
 大菩薩峠は、架空の地名ではなく、奥秩父・奥多摩に連なる山梨県の山地に実在する峠である。多摩川の源流側から、甲州の笛吹川の源流側に抜ける峠であり、古くは多摩川側の人々が荷物を運ぶための要路であった。現在でこそ、柳沢峠を越える新道が開かれて、青梅街道からは外れてしまったが、かつては、海抜千九百もある峠として有名であった。
 大菩薩峠の最寄駅はJR中央線の塩山駅で、東京から約二時間の所要時間である。春や秋のハイキングシーズンには、この大菩薩峠を訪れる人々で塩山駅は賑わいをみせる。
 この中里介山の『大菩薩峠』は、冒頭から、主人公の不条理な行動に読者は驚かされる。大菩薩峠で、主人公机龍之介は、旅の老巡礼を唐突に斬り殺すのである。
 先日、秩父巡礼を経験しているだけに、佐藤はゾクッとするものを感じた。さらに読み進むと、奉納試合で相手となった宇津木文之丞の頭蓋骨を打ち砕いて殺害してしまうのである。
 ここまで読んで、思わず佐藤は声が出てしまったのである。
「若葉町の殺害方法と同じじゃないか。まさか、この『大菩薩峠』を…」
 再び、誰もいない自分の部屋で、佐藤は独り言を呟いた。
 この『大菩薩峠』に出てくる、巡礼、甲源一刀流、木刀による撲殺、というキーワードは若葉町の事件および清水あけみの事件と共通するものであった。
「菩薩」というキーワードはどうなのであろうか。佐藤はそう思って、インターネットで、大菩薩峠の名前の由来を調べてみた。最初に国語辞典を引いてみると、「大菩薩」とは、「八幡大菩薩」のことで、観音菩薩とは関係ないことがわかった。
 八幡大菩薩とは、もともとは現在の大分県宇佐地方で信仰されていた農業の神「八幡神」であり、神仏習合思想の影響を受け、八世紀に奉進された称号であった。時代を下って、源氏の氏神とする信仰が生まれ、武神・軍神としての性格を強めたとされている。観音菩薩とは直接の関係はないが、源氏の末裔が起こした甲源一刀流とは大いに関係があると言える。
 佐藤は、暫らくは読み進んだが、途中で疲れてしまい、最後まで読む気力はなくなった。当時はどうであったかわからないが、佐藤の世代としては、かなり読みにくい文体であった。そこで、インターネットで、この作品について解説しているページを見つけ、それを読むことにした。その解説にも、悪文であるという感想が書かれていた。
 この作品が、読者を引き付けたのは、冒頭の老巡礼を切り殺す件や、自分の子を産んだ女性をも切り殺してしまう虚無的な生き様であったようである。何故、机龍之介がそのような行動を採るのかについて、作者は一切の説明をしていない。
 この小説の時代は江戸末期で、有名な新撰組まで登場するという。第五巻では、山小屋で火薬が爆発して主人公は失明してしまい、ますます、凄まじさを増していく。盲目という点では、勝新太郎のはまり役であった、座頭市を連想させる。
 佐藤は、ふと大菩薩峠が青梅街道の難所であったということに気付いた。
「そう言えば、青梅街道は新宿から始まる街道じゃなかったかな?」
 早速、インターネットで調べてみると、
『青梅街道は、東京新宿から多摩川流域を経て甲府盆地に達する街道であり、新宿追分で甲州街道と分かれ、山梨県酒折(さかおり)で再び合流する。別名、甲州裏街道』
 という説明が見つかった。
 つまり、青梅街道は、江戸時代に整備された、東海道・中山道などの五街道の一つである甲州街道の、今で言えばバイパスということのようである。
 さらに他のページを探してみると、新宿と甲州街道および青梅街道の興味深い関係がわかった。
 そもそも、四百年前、徳川家康が江戸で、今でいうところの巨大都市計画をスタートさせた。その都市の要件としての交通網の整備が、日本橋を基点とする五街道、つまり東海道・中山道・日光街道・奥州街道・甲州街道の造営であった。
 甲州街道は、五街道の中では最も印象の弱い街道かも知れない。参勤交代で使用した大名はわずか三家に過ぎなかったとも言われている。むしろ、万一の場合の将軍家の甲府方面への避難ルートであったという説がある程である。
 この街道には、当初、日本橋から信濃の上諏訪まで四十四の宿場があったが、最初の高井戸宿までが遠かったため、元禄十一年(一六九八年)に新しい宿場が開設された。それが、今の「新宿」だというのである。
 詳しい説明では、甲州街道四十五番目の宿場として開設された宿場町の一部が、徳川家の家臣の内藤家の屋敷地であったので、「内藤新宿」と呼ばれたのだという。そして、いつの頃からか、「内藤」が省略され、「新宿」になったのである。
「甲州街道が造られなければ、新宿はなかったわけだ…。そして、青梅街道で新宿に繋がる大菩薩峠があり、小説を模したように、新宿で木刀による撲殺事件が起こった…」
 佐藤は思わず呟いた。

   3

 北島は、秩父両神村から戻った翌日、渋谷区初台の山野晃子のブティックを菊田と訪ねた。
 初台は、新宿駅南口から西へ延びる甲州街道と、NTT本社ビル前を北から南へと下る山手通に挟まれた街である。そして、初台の商店街は、山手通の西側にほぼ平行して形成されている。その商店街から角を西に折れたところに、ブティック「ヤマノ」はあった。
「山野晃子と初めて会ったのが、ここなのですよ。その時は、うちの山本と来たわけですが…」
 本庁から来ている菊田康史は三十五歳、階級は北島と同じ警部補である。本人の性格とそのような指導を受けているのとで、極めて口数が少ない男であった。
 そのブティックは、もともと山野晃子の母親の朋子が経営していたが、二年前に亡くなってから、娘が引き継いでいた。現在、店を手伝っている女性も、以前、朋子の時代に手伝っていた女性の娘で、揃って世代交代したことになる。
「当分、商売になりませんので…」
 北島たちがそこに到着すると、待っていた店員の藤原孝子は、そう言って、シャッターの巻上げスイッチを入れた。
 事件がマスコミで取り上げられて以来、様々なメディアが引っ切り無しに取材に来て、お客が寄り付かなくなっていたのである。
 北島は「大変ですね」と同情の言葉をかけたが、菊田はその言葉に被せるように、
「何か持ち出したものはないですよね」
 と訊ねた。
「えっ、ああ、何も持ち出していません」
 藤原孝子は、ガラスドアの鍵を開ける途中で、一度振り返って、答えた。
 二人は、室内の照明が点けられるのを待って、中に入った。
 北島と山本が初めて訪れた時と同様、ブティックの奥には、古めかしい厨子が置かれていた。
「この厨子について教えていただきたいのですが」
 北島がそう訊ねると、藤原孝子は黙って、厨子の扉を開いて、中の仏像を見せた。
「ご覧の通り、十一面観音が納められています」
 北島と菊田は、顔を見合わせて、頷きあった。
 仏像は、六十センチメートルほどの木彫のもので、扉を開けると不思議な香りがした。
「白檀で出来ています。この香りも白檀のものです」
 香りのことを訊ねる前に、孝子はそう言った。
「この仏像はいつからここにあるのですか?」
 北島が訊ねると、
「さあ、よくわかりませんが、晃子さんのお母さんの時代からだと思います。私の母なら、わかるかも知れませんが…」
 と孝子は答えた。
「お母さんに連絡がとれるようでしたら、聞いてみていただきたいのですが…」
 北島にそう頼まれて、孝子はしぶしぶ自分の携帯電話を取り出して、母親を呼び出した。
「直接、聞いてください」
 孝子はそう言って、携帯電話を北島に手渡した。
 孝子の母親の話によると、彼女が店を手伝うようになった二十年前にはすでに、その厨子は存在したという。
 どのような由来で、この仏像と厨子がここにあるのかを北島が訊ねると、
『詳しいことはわかりませんが、一度、晃子さんの父親から贈られたものだ、と仰っていたと思いますが…』
 という答えが返ってきた。
「山野晃子の父親というと…」
 北島が電話を切ると、菊田が訊ねた。
「不明です。山野朋子は、一人で晃子を育てています。それにしても、白檀という木は凄いですね。二十年以上も香り続けるとは…」
「厨子に納められているからだと思います。開帳することはほとんどなかったと思います。ここで働く前から、度々ここに顔を出していましたけど、扉が開いていたことはありませんでした」
 孝子は、厨子の中の仏像を覗き込みながら言った。
「晃子さんの父親について、何かご存知ですか?」と北島が訊ねると、
「実は、私も興味があって、母にしつこく訊ねたことがあるんです。でも…」
「でも?」
「でも、人には知られたくないことがあるものよ、と答えてくれませんでした。この十一面観音が、晃子さんのお父さんから贈られたものだということも、今知ったばかりです」
 母親の方はある程度知っているのかもしれないが、藤原孝子自身は知らないというのは嘘ではないようであった。
 四ツ谷南署に戻ると、刑事課には課長と山本と桜井が残っていた。北島は、初台のブティックにあった仏像が、予想通り十一面観音であったこと、そして、十一面観音は晃子の父親から贈られたものかも知れないことを報告した。
「父親のことも調べないといけないのか…」
 岡田が唸った。すると、
「もう驚かないと思いますが、初台というところの歴史を調べてみると、十六世紀に十一面観音が掘り出されたという記録があるんです。それが何か意味があることなのかどうかわかりませんが、初台の歴史として、記録があるわけです」
 と山本が報告した。。
「また、十一面観音か…」
 北島はため息を漏らした。

   4

 北島は、菊田から、山野晃子のマンションの家宅捜査報告書を借りて、内容を確かめていた。それによると、晃子は瞑想の際にアロマテラピーを活用していた。アロマポットと電源タイマーを二セット用意して、瞑想への導入と瞑想からの覚醒をコントロールしていたようである。
「サンダルウッドとローズマリーか…」
 ローズマリーは浅井瞳のマンションで見たことがあったが、サンダルウッドについての知識はなかった。
 その時、今回の事件は十一面観音に次いで、香りがキーワードであることに気付いた。
「心と香りの関係か…」
 北島はそう呟いて、染谷百合子に会ってみることにした。

 染谷百合子は大学の研究室にいたが、早退できるということだったので、東北沢の彼女のマンションで落ち合うことになった。例のごとく、二人だけになることを避けるために、北島がJBCテレビの佐藤健一に連絡を取ると「上司や同僚から顰蹙を買ってでも行く」という答えであった。
 前後して、三人は染谷百合子のワンルームマンションに到着した。
 百合子は、いくつかのミントをブレンドしたフレッシュハーブティを煎れてくれた。研究室のプランターで育てているという。
 北島が両神村での成果と初台で十一面観音を確認したことを話し、佐藤が小説『大菩薩峠』と今回の事件との符合について話をした。百合子にとっては驚くことばかりであった。
「すると、凶器になった、二百年以上前の木刀は、二年半くらい前に盗まれたものだということですか?」
 佐藤の確認に北島は、「ええ、そうです」と頷いた。
「微妙ですね。二年半というのは…」と佐藤は腕を組んで唸った。
「ええ、どう解釈したらいいのか…」
 北島も同じように腕を組んで唸った。
「どういうことなのですか。二年前だと何かおかしいのでしょうか?」
 という百合子の質問に、
「新宿若葉町での殺害を意図してから、凶器を調達したとは思えないということです。もし、そうだとしたら、二年以上も準備していた計画的な殺人ということになります。それに、真犯人かも知れない笠原令司は、昨年、清水あけみさんと訪れるまでは、秩父方面には出かけていないようなのです」
 北島がこのように説明した。
「もしかすると、木刀を盗んだのは、笠原でも山野晃子でもない、第三の人物かも知れませんね」
 と佐藤が思いついて言うと、「ほう。そういう考え方もありますか」と北島が感嘆した。
「よしてくださいよ。当然、北島さんもその可能性を考えたと思いますが…」
 佐藤が不満そうに言うと、
「これは、失礼しました。実は私もそう考えました」
 と北島は素直に謝った。
「そして、その第三の人物についても…」
 と佐藤は重ねて追求した。
「ええ、二年半前には生きていた人物、だとしたら…」
 北島は、二人を試すように言った。
「ああ」と佐藤は声を出し、
「晃子さんのお母さんですか?」と、百合子が続けた。
「先ほどお話したように、十一面観音も山野朋子が以前から所有していたわけですし…」
 北島は、死を覚悟した朋子が病を押して、両神村に出かけ、木刀を手に入れたと考えたのである。
「山野朋子が事件の鍵を握っているということですか? 二年も前に死んでいる人間が…」
 佐藤は絶句した。
「事件はますます難解になっていくようで…」
 そう言って、北島は腕を組んで俯いた。
 暫らくの沈黙があって、
「そう言えば、先ほどの電話で、北島さんは香りがこの事件のキーワードではないかと仰っていませんでしたか?」
 と百合子が訊ねた。
「ああ、そうでした。実は…」
 北島は、笠原メンタルクリニックでのラベンダーの香り、初台のブティックでの仏像の香り、そして、山野晃子が瞑想の際に使用していた香りの話をした。
 そして、サンダルウッドという香りのことはよくわからない、と北島が言うと、
「ああ、白檀ですね」と百合子は答えた。
「えっ」
 北島は驚きの声を出した。
「サンダルウッドは白檀の別名ですけど…」
「白檀とサンダルウッドは同じものなんですか?」
「正確に言うと、アロマテラピーでのサンダルウッドは、白檀から抽出したエッセンシャルオイルということになります」
 百合子は、本棚から、香木に関する本を取り出し、白檀のページを広げてみせた。
 その説明によると、白檀はインドネシアのチモール島付近が原産の常緑高木とある。生育地域は、インドネシアばかりではなく、東南アジアからインドまで広がっている。
「えっ、半寄生植物なんですか」
 その先の説明を読んで、佐藤は驚きの声をあげた。
 白檀は初めのうちは独立して育つが、のちに吸盤で奇主の根に寄生するようになるという。地中に広がる多くの根があり、その中に先端に一センチ前後の直径の吸盤を供えているものがあり、かなりの種類の植物の根から養分を吸い取るのだという。
「白ではなく、黄色やベージュという感じですね」と北島が感想を言うと、
「黒檀とか紫檀とかに比較してのことだと思います」と百合子が答えた。
 さらに説明を読むと、インドでは紀元前後から、寺院の建造物、仏像、彫刻、火葬の薪などに使用されたとある。
「アロマテラピーとしては、どのような効能があるとされているのですか?」
 と北島が訊ねると、
「緊張や不安を静め、気分を落ち着かせると言われています。当然、瞑想にもいいと思います。仏像にされたのは、この瞑想効果があったからではないでしょうか」
 と百合子は答えた。
「白檀の香りが、人格交代のまさにスイッチとして機能していたわけですね」
 佐藤は感心したように言った。
「暗示による条件反射を利用したということですね。それに、もう一つのスイッチはローズマリーで…」
 百合子は、今度はアロマテラピーに関する本を棚から取り出し、二人に示した。
 ローズマリーはしそ科の植物で、アロマテラピー効果として中枢神経系の機能促進作用、頭脳明晰作用、消毒作用、鎮痛作用が明記されている。
 ローズマリーという言葉は、ラテン語で「海のしずく」という言葉に由来している。ローズマリーが水場近くに生育するためである。古代ギリシャでは、この植物を復活や若返りの象徴としていたという。
「復活、若返りですか」
 北島はしみじみとそう言った。

   5

 染谷百合子はその日、さいたま市の調神社を訪れていた。清水あけみの父親の幾太郎から、会いたいという連絡を受けてのことであった。予め、JBCテレビの佐藤健一が同行するかも知れないと告げてあったが、幾太郎は不快感をあらわにしていた。
 佐藤は気を利かして、境内を見てくると言って、二人から離れていった。
「思いの外、いい青年かも知れませんな」
 幾太郎は多少見直しているようであった。
「謎の多い事件ですから、あなたにもボディガードが必要でしょうかね」
 百合子はそんなことは考えたこともなかったが、確かに、先日の秩父巡礼の際に、一人で笠原令司に遭遇したとしたら、危険だったかも知れないと思った。
「今日お呼び立てしたのは、あけみが付き合っていたという男性のことを教えていただきたいと思いまして…。他の方はご存じないようですし…。あなたはご存知なのでしょ」
 幾太郎は真剣な顔をして百合子に頼んだ。
「ええ、相手の方は、私達より一回り年上で、精神科の臨床医の方です。ただ、最近になるまで、私も、その方があけみさんが付き合っている方だとは知りませんでした。なにしろ、相手の方には家庭がありましたから、あけみさんはメールにも実名は書いてこなかったのです」
 百合子は敢えて、実名を告げずに話をした。幾太郎も、その点は了解しているようであった。今更、実名を知ることに意味があるとは思えなかったのであろう。
「そうですか。それで、どんな感じの男なのですか?」
 かなり、曖昧な表現であったので、百合子は何を話したらいいか、一瞬迷った。
「そう言えば…」と躊躇しながら言うと、
「そう言えば?」
 と幾太郎は訊き返した。
「雰囲気がお父様に似ているかも…」
「そうですか。私に…」
 幾太郎はそう言うと、空を仰ぎ見た。
 あけみは、いわゆるお父さん子で、小さい頃から父親にばかり懐いていたという話を、百合子は本人から聞いたことがあった。
「性格的にはどのような…」
 暫らくして、幾太郎は気を取り直して訊ねた。
「それが、よくわからないのです」
「よくわからない?」
 百合子は、昨年九月の秩父の旅の際に、帰りの電車で、笠原が眼の不自由な方に瞬時に席を譲ったエピソードを話した。
「あけみさんは、『この人を好きになってよかった』とメールに書いてきていました」
「そうですか。そんなことが…」
 幾太郎は再び、空を仰ぎ見たが、すぐに視線を水平に戻すと、
「そんな心優しい男が、どうして、あけみを自殺に追いやったりしたのですか?」
 と泣きそうな顔をして百合子に訊ねた。
 百合子は答えられなかった。
「すみません。あなたを責めてはいけませんでしたね」
 と幾太郎が謝ると、
「私も、自殺の理由を知りたいと思っています」
 と百合子は表情を引き締めて言った。
 「あけみは亡くなりましたが、私の記憶の中で生きています。あの娘が生まれたときの喜び、掴まり立ちができるようになった頃のあどけない笑顔、小学校に入学する前のピアノの発表会での緊張した姿…」
 幾太郎は、そこまで話して言葉に詰まった。
「成長してからは、私の知らない世界を持ち始めたわけですが、まさか自殺してしまうとは思いませんでした。私も、これからそう長くは生きられないと思いますが、娘がどう生きたのかを出来る限り知って、私の中で生きていてもらいたいと願っています」
「そうですね。私も、同じ思いです」
 百合子も涙を浮かべながら、そう言った。

 話が一段落したことを察して、佐藤が二人のところに戻ってきた。
「それにしても、不思議な神社ですね。入り口には狛うさぎ、御手洗泉水のところにも巨大なうさぎの石造、そして、鳥居がないのですから」
 佐藤がそう言うと、
「ええ、何でも、調神社の七不思議というものがあるそうです。私はよくは知りませんが…」
 幾太郎は、先ほどとは打って変わって、佐藤に好意的な態度を示した。
「実は、この調神社と秩父には繋がりがあるのです…」
 清水幾太郎は、専門の教科は理科であったが、趣味でこの二十年ほど、郷土史の研究グループに参加しているという。
「お二人は、酉の市はご存知ですか?」
 少し唐突に、幾太郎が訊ねた。
「ええ、確か浅草で冬場に行われる祭りだと思いますが…」
 佐藤は、記憶を辿りながら答えた。百合子は、隣で頷いただけであった。
「そうですね。浅草の鷲(おおとり)神社の酉の市が有名ですが、浅草だけでなく、酉の市は各地で行われています…」
 幾太郎は、酉の市が江戸時代に始まり、十一月の酉の日に開催されることを説明した。かつては素朴なものであったであろう縁起物の熊手は、今では、様々な装飾が施されて、仰々しくなっている。なぜ、熊手かというと、鳳にちなんで、福を鷲づかみにするという洒落から来ている。
「すみません。前置きが長くなりました。実は、各地で行われる酉の市の中には、十一月ではなく、酉の日でもなく開催されているものもあるのです。実は、ここ調神社の場合も、毎年十二月十二日に、十二日市として開催されます」
 その日は、周辺道路などでは千を越える露天が立ち並び、お参りや見物の人で混雑するという。ちなみに、例年の人出は、十数万人と言われている。
「千店以上の露天と十数万人の人出ですか。凄いですね」
 佐藤が感嘆の声をあげた。
「ええ、浦和最大の祭りです。実は、その二日前に大宮の氷川神社で、十日市が開かれます。これも酉の市なのです。ご存知かも知れませんが、大宮氷川神社は総社ですから、規模はここの十倍以上はありそうですが…」
「一度、あけみさんと行ったことがあります。大宮の氷川神社に…」
 百合子が思わず口を挟んだ。
「そうですか。あけみと行かれたことがありますか…」
 幾太郎はそう言って、暫らく沈黙した。
「すみません。お話の途中で…」
 と百合子が謝ると、
「いえ、いいんです」と幾太郎は気を取り直して続けた。
「えーと、そうでした。十日市が大宮氷川神社。さらに、その二日前が熊谷の高城神社での八日市があります。やはり、これも酉の市です。そして、今でこそ、酉の市という位置づけはなくなりましたが、この一連の流れは十二月三日の秩父夜祭りが始まりなのです」
「なるほど、今でいうと、コンサートツアーとかキャラバンとかいうことになりますね」
 佐藤がそう言うと、
「そうかも知れませんね」
 と幾太郎が答えた。
「すると、あけみさんは、今のお話のルートをまさに逆に辿って、秩父に行っていたことになりますね」
 百合子は、背筋にゾクッとくるものを感じながらそう言った。
「ええ、そうなんです。あけみは導かれて秩父に行ったわけです。そして、昨年の調神社十二日市の直後に自ら命を絶ちました…」
 幾太郎は、肩を落とし、俯きながらそう言った。

   6

 北島は、山野晃子の母、朋子について調べる必要性を感じた。二年前に死亡してしまっている人物が、その後に発生した殺人事件の鍵を握るということはあり得るのか。しかし、今回の事件の経過の中で、まるで、道標のように登場する十一面観音は山野朋子から始まっているように見える。
 過去、娘の晃子以外に、山野朋子と最も多くの時間を共有したのは、ブティックの経営で約二十年間パートナーであった藤原孝子の母、扶美子であった。先日、初台のブティックを訪ねた時、北島は電話でその扶美子と話をしていた。
 孝子を通じて、藤原扶美子と連絡を取り、その日、北島はこの前と同様に菊田と初台を訪れた。扶美子は、ブティックでの仕事を娘の孝子とバトンタッチすると、「檸檬」という喫茶店を始めた。ブティックとは少し離れていたが、やはり初台にあった。
 もともと、藤原扶美子は夫と二人で、初台の山野朋子のブティックの近くで、同じ「檸檬」という喫茶店を経営していた。しかし、二十年前に、その夫が病死して、借入金の清算のため、店を手放さざるを得なかったのである。その時、世代の近かった山野朋子が、一緒にやらないかと持ちかけたのである。
「それがね。一方的な善意というわけではなく、歩合制だったのですよ」
 藤原扶美子は、喫茶店の開店準備をしながら、山野朋子との最初の関わりをそのように話した。
「歩合制?」
 菊田が訊き返した。
「要するに、お店の売上に応じて払うということで、冷たいようで、根は優しいやり方かも知れないですね」
 扶美子は当時を懐かしむようにそう言った。
「なるほど。それで、十一面観音もすでにブティックにあったということですね」
 という北島の言葉に、
「ええ、ありました。言わば、十一面観音は朋子さんの守り本尊というところでしょうね」
 と扶美子はそう答えた。
「ところで、朋子さんという人はどういう人だったのですか?」という問いに、扶美子は、
「そうですね。女性としては、口数の少ない人でしたね。未婚で晃子さんを生んで、一人で育てたわけだから、娘だけが心の支えという人生だった思いますよ。私は、二十年近く一緒に仕事をしたけど、完全に心を許すという関係にはならなかったですね。朋子さんにはそんなところがありましたから…」
 と答えた。
「写真はないのですか?」と北島が訊ねると、
「ああ、ちょっと、待ってください」
 と言って、扶美子は傍らに置いてあった手提げバッグから、アルバムを取り出して二人に見せた。そのために、マンションから店まで持ってきたのである。
「えっ、これが朋子さんですか?」
 北島の口から驚きの声が漏れた。
「そうでしょ。知らない人が見たら、晃子さんと思うでしょうね…」
 二十年前、藤原扶美子が山野朋子に会った頃、二人とも三十代に入ったばかりであった。まだ小学生の晃子は、母親によく似ていたのは確かであったが、大人と子供ということで、明らかに違っていた。しかし、今、晃子は三十一歳になり、同年代の朋子と区別がつかないほど似ている。
「私は、朋子さんの子供の頃や二十代の頃は知らないわけですよね。だから、晃子さんが若い頃は、よく似ているとは思っていましたが、二年半前、久しぶりに晃子さんに会って、寒気がしました。あまりに似ているので、出会った頃の朋子さんに…」
「まるで、クローンですね」と思わず、菊田が呟いた。
 そのアルバムは、そのブティックの内部を記録する目的で撮られた写真のアルバムのようであった。期間は、二十年前から、五年間ぐらいであろうか。そのうちの一枚に北島の目が吸い寄せられた。
「藤原さん。朋子さんは左利きだったのですか?」
 北島に突然そう訊かれて、藤原扶美子は驚いた。
「ええ、そうですよ」
 扶美子は北島が見つめているページを覗き込みながら答えた。そこには、朋子が左手にハサミを握っている写真があった。
「実際には、字もハサミも両手とも使える器用な人でしたけど、もともとは左利きだったと言っていました。それが何か…」
「以前、うちの若い刑事がそのことを訊きに来ませんでしたか?」
「ああ、そう言えば…。でも、その時は朋子さんではなく、晃子さんが左利きだったかと訊かれたと思いますけど…。朋子さんのことは訊かれませんでしたよ」
 そう、扶美子の言う通りであった。初動捜査の際には、朋子のことなど捜査事項に入っていなかった。
「そうでしたね。失礼しました」と北島は詫びた。
「いえ、謝っていただくことではないと思いますが、朋子さんが左利きだとどういうことになるんのでしょう?」
 扶美子は、その意味を知りたがった。
「いえ、まだ、私にもわかりません。ただ…」
「ただ?」
「ただ、被疑者の晃子さんは、左利きの持ち方で、木刀を振り下ろしていんです」
 扶美子は、「えっ」と一瞬戸惑ったが、
「でも、左利きだったのは、朋子さんで、晃子さんは全くの右利きでしたよ。朋子さんとそんな話をした記憶がありますから…。犯人が左利きだとすると、やはり、晃子さんは犯人ではないのではないかしら…」
 とまで言い出した。
「いや、それは…」と北島が否定しかけた時、
「あっ」と扶美子が小さく叫んだ。
「どうかしましたか?」
 北島は、扶美子に訪ねた。
「今、思い出したのですけれど…」
「何をです?」
「朋子さん、言ってました。若い頃、剣道をやっていたと…」
 扶美子は、記憶を辿るように、薄く目を閉じながら言った。
「本当ですか?」
「ええ、かなり真剣に稽古したと言っていました。二十代でやめてしまったけど、続けたかったとも…」
 それまで、黙って聞いていた菊田が、北島の耳元に口を寄せて、
「繋がりましたね。凶器の木刀と山野朋子が…」
 と囁いた。
 北島は二度深く頷いた。
「ところで、お聞きしにくいことなのですが、朋子さんの男性関係はどうだったのですか?」
 暫らく間を置いて、北島は話題を替えた。
「確かに、答えにくいことですね。朋子さんも私も当時は三十代前半で、頼れる男性が欲しい時期でしたから…。正直言って、いろいろありましたよ。でも、お互いに紹介しあったりしませんでしたから…」
「固有名詞など、具体的なことは知らないということですか?」
「ご存知のように、女性同士というのは、何でも話してしまう親友ごっこみたいな関係を持つことが多いのですが、朋子さんは違いましたね。私もどちらかと言うとそうでしたけど…」
「そうですか。最後に、晃子さんの父親のことなのですけど。何かご存知ですか?」
 北島が訊ねた。
「さあ、私たちが知り合った時、晃子さんはもう十歳くらいになっていましたし、わかりません。先ほどもお話したように、朋子さん、身の上話をするタイプじゃなかったし…」
 扶美子は手を横に振りながら言った。
「何かのはずみで、その話が出たことはありませんか?」と北島はなおも訊ねた。
「そうですね。これは、何故そう思っているのか自分でもわからないのですが、晃子さんの父親はお医者さんだったような気がしているのです」
「医者ですか…」
「具体的に、どんな話でそう思うようになったのかわからないのですが…」
 北島と菊田は、朋子の出身地や生い立ちについても訊ねたが、扶美子は知らなかった。
「こうしてみると、二十年もの付き合いなのに、私が朋子さんについて知っていることって、こんなにも少なかったのですね…」
 最後に、扶美子は悲しそうな顔をしてそう言った。

   7

 四ツ谷南署の刑事課室で、課長の岡田、係長の北島、柴田、そして本庁から連絡係りを兼ねて応援に来ている菊田の四人が話をしていた。
「要するに、山野晃子は、白檀の香りで瞑想状態になり、キョウコへと人格交代が行われ、そして、三時間後に今度はローズマリーの香りで、元に戻るということですね」
 北島の話を確認するように柴田が言った。
「二つのタイマーでコントロールしていたようだ」と北島が答えると、
「晃子の方は、キョウコの存在を知らないが、キョウコの方は晃子のことを知っているということだろ?」
 と岡田が訊ねた。
「そうだと思います。私もこの事件が起きてから仕入れた知識ですが、解離性同一性障害では、ホスト人格と交代人格の両方がお互いを知らないという場合もありますが、交代人格の方だけ、ホスト人格の行動を知っているという場合が多いそうです」
 北島は、断定はできなかった。
「私は、白檀のことが気になりますね。初台のブティックにあった十一面観音は白檀で彫られていたもので、山野晃子が瞑想に利用したのも白檀だったというのが…」
 と柴田が言うと、
「白檀という木が、半寄生植物というのも不気味な感じがするな」
 と岡田も同調し、北島と菊田も黙って頷いた。
「話は変わるが、両神村の剣道場から、あの凶器として使われた木刀を持ち去ったのは、山野晃子の母親、朋子だということか?」
 岡田が言った。
「確証はないわけですが、そんな気がします」と北島が言うと、
「自分もそう思います。若葉町の事件に直接関与したと思われる二人のうち、山野晃子は秩父を訪れたことがないと思われますし、笠原令司は、昨年、清水あけみと訊ねたのが最初だと思われます。それに対し、両神村から木刀が紛失したのは二年以上前ですから…」
 と菊田が続けた。
「朋子だとして、何のために盗んだりしたのか。それに、二年以上の間、その木刀はどこにあったというのだ」
 という岡田の疑問に対し、
「晃子のマンションにあるクローゼットの中の隠し戸棚があることはお話したと思いますが、どうも、そこに置かれていたようです。鑑識が何か痕跡を確認したということでした」
 と菊田が答えた。
「えっ、本当か? すると、隠し戸棚を作ったのは…」
 と岡田は驚いて訊いた。
「そうです。晃子が住む前に、朋子が作らせたものと思われます。それに、剣道着などを用意したのも朋子だったようです」と菊田が答えると
「そうすると、晃子の中に生まれた交代人格のキョウコは、朋子が準備した剣道の道具を使用したということになりますよね。どうして、隠し戸棚のことを知っていたのですか。偶然、発見したとでも…」と柴田が訊ねた。
「そこのところはわかりません」と菊田は答えた。
 菊田の話に「そうなのか…」と岡田は唸ってしまった。
「話を戻して、木刀に関して、何のために盗み出したのかはわからないわけですね。まさか、その時点で住田を殺害するためだったとは考えられませんが…」
 と柴田が言った。
「その辺もわかりません」と菊田が答えた。
 四人は、青梅街道で繋がる新宿と大菩薩峠の話、小説「大菩薩峠」と今回の事件の符合についても感想を述べ合った。さらに、清水あけみの自宅近くの調神社が、大宮、熊谷を経て、秩父に繋がる話も改めて確認された。
「ともかく、今回の事件では、若葉町、秩父、笠原の自宅、初台のブティックと、まるで巡礼路の道標のように、十一面観音が出現します。歴史的には、当然、秩父、そして若葉町の十一面観音は何百年も前ということになりますが、この事件に関して言えば、最初は、山野晃子のブティックから始まっています。ですから、この謎かけは、山野朋子が仕掛けていると考えると筋は通ります」
 と北島が言うと、柴田が口を挟んだ。
「ちょっと待ってください。確かに、若い頃、朋子が剣道をやっていたということ、二十年以上前から、ブティックに十一面観音が置かれていたことは朋子の関与を示していますが、朋子は二年前に死んでいる人間なのですよ。笠原とも接点はないはずです」
「柴田の言うとおりだ。その辺はどうなんだ」
 と岡田も柴田に同調した。
「もし、朋子が生きているとしたら…」
 北島はポツリと言った。
「えっ」
 三人は同時に驚きの声をあげた。
「北さん、何を言い出すのだ。そんなはずがあるわけないだろうが…」
 岡田は、大きな声で言った。
「いや、初台の喫茶店で、朋子の若い頃の写真を見せられた時、私はゾッとしたのです。正に晃子そのものでした。どちらも写真でしか見たことのない菊田警部補が驚いたくらいですから」
 北島がそう言うと、菊田は黙って頷いた。
「その時、理屈ではなく、朋子は生きているような感じがしたのです」
「しかし、朋子は大病院で亡くなったわけだし、誤魔化しようはないだろうよ。そうだろう」
 岡田は菊田と柴田に同意を求めた。
「そうなのですよね…」
 北島は、腕組みをしてそう言った。