2 コンサルティングの役割
コンサルティングが有効な場合とは
さて、コンサルティングの有効性について考えてみよう。コンサルティングを有効に活用するには、コンサルティングに対する十分な理解が必要となる。また、その企業のおかれている状況も考慮しなければならない。マーケットの競合状況や、業界リーダーなのか、2、3番手なのか中堅なのかといったポジショニングによりコンサルティングの必要性や有効性は異なる。コンサルティングの質やタイミングにも左右されるのは当然である。そのため、単純にコンサルティングの有効性を論じることはできない。
ただし、一般論としてある業務を内部のみで処理するのではなく、外部コンサルティングを利用することを検討すべき場合がいくつかある。
それは次の図のような場合である。
企業のライフサイクルを見ると、設立から始まって、成長、成熟、衰退、蘇生、解散に至るまで多種多様なフェーズがある。そして、このライフサイクルの中には、社名変更のように一度か二度しか行われない活動がある。このような場合は社内に専門家などいないのが当然である。
企業の活動の中には出金伝票の作成のように日々繰り返し行なわれるものから、月次決算や年度決算そして5年や10年ごとに行なう中・長期の経営計画の策定もあるわけだ。稀にしか行なわれない活動の場合は当然であるが、日々の活動にしても、そのシステムを初めて導入したり、技術革新に応じた大幅な変更を行なう場合は、外部のコンサルティングを利用するほうがよいだろう。その理由は、経験のないことや少ないことはリスクが高いからである。また、後で詳しく説明するが、単純に考えても一度しか行なわれないことのために担当者が膨大な専門知識を獲得することは効率的ではない。
このようなプロジェクトは多くの優秀な人材を必要とするが、社内からそう何人も割くことは難しい。内部の優秀な人材は然るべきポジションにあり仕事も多く、目先の処理と部下の管理に追われている。いわば、稼ぎにまわっているという状況である。残念ながら落ち着いて現状分析を行ない、戦略を立てたりする時間がないのが普通である。
一般的に新システムの導入時の作業量と必要とされる専門性は、システムが軌道に乗ってしまった後では大きくダウンする。このような変化が長期的に起こるのであれば社内人材による対処もできる。しかし、現実には短期間で調整しなければならないことのほうが多い。
また、企業の成長段階との関係でコンサルティングの有効性を考えることもできる。業績が伸びて、家業から企業へ、中小企業から中堅企業へと変化する時がチャンスである。利益が出て、資金には余裕ができる。問題は社内の人材だ。
人材の育成には時間がかかる。それ故、経営課題の中でも、人材開発が最も優先順位が高いと言われる。しかし、分かっていながらその通りにできないのが世の常である。このように成長の速度が人材育成の速度を上回った場合が、中途採用と同時にコンサルティングの利用を検討するタイミングである。
特に家業から企業への限界線にある、限界企業の場合、ワンマン社長体制から脱皮できるかどうかが問題になることが多い。しかし、社内の人材はこのワンマン社長体制に適応した人材ばかりであることが多い。そのため、壁を破ることが難しい。このような時、コンサルティングを含めて外部から強力なインパクトを与えることを考えるべきであろう。
また、最近のビジネスのボーダレス化による企業を取り巻く環境の変化は、かつて国際化が喧伝されていた時代とは比べものにならない。国際化の時代は、海外進出は長期的に取り組み、各国別に社会制度やマーケットを研究して進めればよかった。ところが現在は、製造物責任問題のように国内、海外各国別のローカルルールの使い分けではなく、一気に国内と海外同時の国際ルール採用の必要性が生まれてきている。車内でゆっくり検討ということなど許されない時代なのである。素早い対応のためには、外部の人的資源を活用するしか方法がないのである。
企業はその活動が行なわれる頻度に応じて、内部で解決するか、外部のコンサルティングを利用すべきかを決定する必要に迫られる。もちろん、社内で行なうという選択がないわけではない。社内で苦労することはスタッフの問題解決能力を高め、個々人をボトムアップし、人材の育成にひとかたならぬ効果を期待することができる。この目的が明らかな場合は回り道をしてもよいだろう。試行錯誤の過程で結果以上の貴重な知恵を獲得できることは少なくない。この辺りの判断は一概には下せない。
社内だけで行なうことのデメリット
外部コンサルティングを利用しないで、社内だけでプロジェクトを推進することのメリットは、先ほど述べたように人材の育成が図れるということが考えられる。秘密保持という視点もある。また、コンサルティング料として外部へ支払う費用を節約できるかも知れない。もちろん、うまくいけばの話である。
さて、デメリットを整理すると次のような項目になる。
- 抜本策が打ち出せない
- 結果的にコストが高くつく
- 感情的なしこりが残る
内部の人間で推進すると、担当者が保身を考えてしまい、無難にこなそうとして抜本的な改革ができない。新しいシステムを導入することは、いままでの仕事のやり方を変え、社内の権力構造をも変えてしまう可能性も高い。内部の人間のみで進めることは担当者に大きな負担を強いることになる。
専門家として中途採用されたものにしても、社員になってしまうと、遠慮のない意見を本当に言い続けることは易しいことではない。上司や先輩、同僚に対する気兼ねや遠慮で毒気を抜かれてしまう。そのため、シビアな最適解の出てくる可能性は低くなる。成行きとして当りさわりのない意見が多くなる。
それに対し、外部コンサルティングはある意味で真剣勝負であるため、提案の合理性に対して期待ができる。とても採用できないレベルの低い提案であったり、結果が悪かったりした場合は、コンサルタントは次のビジネスチャンスを失うことになる。外部にいて、ある意味では捨身で正論が言える立場になれば、よりよい結果を出せるのだ。
また、これも場合によるが、外部コンサルティング利用よりも社内処理のほうがコストが高いということは十分に考え得ることである。企業内で素人が勉強して専門家になるには時間がかかる。しかも、時間をかけて獲得した知識を一度しか活用しないのではコストパフォーマンスの面で問題である。とかく社員の人件費を失念しがちであるが、この点は十二分に考慮に入れ一度換算してみるべきであろう。
ぴったりとした例とは思えないが、英会話が日常会話レベルになるには延べ1、000時間,、ビジネスで実用レベルになるには延べ3、000時間のレッスンが必要であると言われる。専門知識の獲得もこの前後とみて、人件費に換算したらどのくらいになるだろうか。
改善なり新規導入なりプロジェクトが複数の部門に関係する時には調整役が必要になる。特定の部門のイニシアチブでは他の部門が抵抗を示す場合が少なくない。なかなかうまくいかなかったり、一応導入されても後にしこりを残すことにもなる。中立で客観的に判断する立場に立てるのが外部コンサルティングの利点である。時には憎まれ役を演じ、内部の和を維持することにも貢献することになるだろう。
医療とコンサルティング
以前から、経営コンサルタントは企業ドクターであると言われている。人の健康を診るのが医者であり、企業の健康を診るのが経営コンサルタントであるというわけだ。「経営診断」という用語も医療との共通性を物語っている。そもそもクライアントとは患者のことである。その他にも多くの点で、医療と類比して考えることができるのがコンサルティングである。
ただし、両者を特別に高潔なものとして主張するつもりはない。医者には名医もいれば、ヤブやモグリの医者もいる。また、悪徳医師ということもある。コンサルタントも全く同様である。また、医者の言うことを聴くか聴かないかは患者の自由であるし、コンサルティングの言うことを聴くか聴かないかも企業の自由だという点も共通している。
医療の実際を見てみると、個人の体質により同じ病状の場合でも治療法が異なる。内科的治療を考えてみても、年齢、体重、体力、アレルギー特性により、処方、つまり薬の種類や量がコントロ―ルされる。そのために、処方や実際の治療の前に各種の検査が行なわれる。検査が行き過ぎて、検査漬けという困った状態にもなる。しかし、個体特性を確かめずに薬品の投与を行ない、ショック死や深刻な副作用を引き起こすという事件は日頃耳にするところである。検査は必要なのだ。
第2章の 「コンサルティングの手順と内容」でコンサルティングにおける調査の内容については詳しく説明するが、人の場合と同様に、企業の個体特性を調べることはコンサルティングの第一歩なのである。
さて、医療の世界でも、同じ病状に対する治療法は一つとは限らない。いま説明したのは医薬品を用いた内科的治療である。もちろん、他には外科的治療や物療的治療、あるいは鍼灸や漢方薬療法などがある。あるいはガンの治療などのように、抗癌剤投与という内科的療法と切除手術という外科的療法、さらに放射線療法を組み合わせるという場合もある。コンサルティングの場合もいくつかのコンサルティングを組み合わせて相乗効果を図るという考え方もあるだろう。
素人療法の危険性
さて、個人が自己診断して、効力のない市販薬を飲んでいて症状が悪化し、手遅れになるようなことがある。そもそも市販薬の薬効は弱い。せいぜい、解熱や鎮痛といった対症療法が守備範囲であり、根本治療のためのものではない。
「自分の健康は自分が一番よく知っている」と考えることの危険性は、よく知られていることである。医者に相談したほうがよい。企業の場合もやはりよく知らない領域の判断を行なう時は、専門家に相談するべきであろう。
企業の治療という観点からすれば、書店で手に入る本やマニュアルはいわば市販薬である。「生兵法は怪我の元」という諺があるが、不十分な理解ではピントはずれの空回りが多いに違いない。時には本当に大怪我をすることがある。例をあげて説明しよう。
商品開発、正確に言えばその中でもブランド開発の領域での話である。カルピスウォーターは1991年の最大級のヒット商品になった。 だが、「カルピス」という商品名は実質上、英語圏では使えない。そのため海外では「カルピコ」というブランドが使用されている。
このことはブランド開発の専門家でなくても業界関係者なら誰でも知っている有名な話である。発音からいって「カル」は「カウ」つまり牛と受け取られる。これは問題がない。しかし、後半の「ピス」には大いに問題がある。アメリカの俗語で「小便」を意味するのである。牛の小便では飲む気がしない。
これはよく知られた例であるが、その他にも教えあげたら切りがないほど、日本のエセ英語によるブランドネーミングには問題のあるものが多い。専門家であれば、悪い意味がないかは最低限調べてからブランドを決定する。しかし、素人はこのような最も基本的なことにも気づかないのである。
次に最近よく話題にのぼる製品マニュアルの話をしよう。日本では、商品のハードウェア上の性能に関する関心が高い。この前では最も競争の激しい市場が日本であり、それがひいては日本の国際競争力の源泉ともなっている。その反面、製品マニュアルの不備は以前から指摘され続けていながら、改善の歩みはきわめて遅い。国際的にはマニュアルは製品と不可分なものであると考えられているのに、日本にはその認識が薄いのである。
その結果、パソコンの大量注文を受けながら、マニュアルの不備でキャンセルをされたケースが一度や二度ではないという。これは、もともと日本語マニュアルが重要な仕事と考えられていないため、入社1、2年の社員によって書かれているという現実に起因する。しかも、翻訳がプロのテクニカルライターあるいはテクニカルコミュニケーターではなく、一般の翻訳者によってなされているのであるから質的な面で見劣りするのは当然である。
「よく分からない」とか「使いものにならない」とかなら、ビジネスチャンスを失うということで済む。しかし、製品を売ってしまってから人に関わる事故を起こし、その理由がマニュアルの不備によるということになった場合は、膨大な損害賠償責任の対象になる。これが製造物責任と呼ばれる領域の問題であり、素人療法の危険性を証明する例である。
スポーツコーチ的役割
さて、これまで医療とコンサルティングの類似性に関して述べてきたが、コンサルティングの機能を医療面だけで説明するのには無理がある。医療は、どちらかというと健康を害しているか、それに近づきつつある場合を想定している。確かに、企業の場合でも既存のシステムの具合が悪いとか、以前より生産性が落ちてきたといった場合は、コンサルティングの役割は医療の役割であると言ってよい。
しかし、売上向上を目指したシステムの改善や見直し、あるいは新事業開発のように、いままでやっていなかった活動を追加するような場合は医療では例えることができない。しかも、近年、新事業開発やリストラクチャリングのようなことが行なわれるケースが目立って増えてきている。
このような変化が原因で先ほど触れたように、コンサルテーションよりコンサルティングという言葉がより広く使われだしたのではないだろうか。おそらく、企業活動が事業の多角化などを通じてよりダイナミックになるにつれ、コンサルテーションという、どちらかというと静的な言葉ではマッチしなくなってきた。コンサルティングには現状維持や現状復帰といった消極的な部分に比較して、将来目標を達成するための問題解決という意味合いが強いと考える。
このような見方が正しいかどうかはともかくとして、現在のコンサルティングは医療とは違う役割も持っているようである。
例えてみれば、人が新しくテニスを始めるといった場合にコーチにつくのと同様に、企業が新しいことを手掛ける際のコーチとしてコンサルティング機能やコンサルタントが存在しているのではないだろうか。スポーツを覚え、上達するにはインストラクターやコーチ、あるいはトレーナーといった人々の支援を受ける。もちろん、自己流というやり方もあるわけだが、よき指導者がいたほうが上達は早いし、無理なフォームで肘を痛めることも少ないのではないだろうか。
以前の運動部の監督やコーチというと、根性を売り物にした非科学的なしごきのイメージがあった。しかし、最近ではスポーツ医学的知識を持ち、指導をする前に基礎体力のチェックから始めるコーチ法が常識となってきている。
コンサルティングとプランニング
プランニングは一般的には企画か計画と訳されるが、この3つはそれぞれ違うニュアンスを持っている。特に、企画という言葉はこの10年の間に日本特有の概念として成長してきている。ここでは企画とは何かについて詳しくは論じないが、プランニングを企画と計画の両者を含む言葉として考え、コンサルティングとの関係を確認しておきたい。
そもそも、コンサルティングが何かは、これから本書がすべてを費やして説明することである。一方、プランニングが(企画および計画)も一言で説明できない大きな概念である。簡単に論じられるものではない。本書を読み進む過程で徐々に説明していきたいと考える。そこで、ここではコンサルティングとプランニングの関係について本書が立脚する考え方の結論のみを述べる。
- コンサルティングとは企画および計画の作成時に助言をすることである。
- コンサルティングは企画および計画を評価することである。
- コンサルティングは企画および計画の未知の部分について最終責任を持たない。
つまり、コンサルティングの役割は助言と評価であり、もし新規アイディアを中心としたプランニングを行なうとしてもそれは本来業務ではなく付帯業務であると考えるべきなのだ。また、コンサルティングの限界は行なう側の経験の範囲であるということになる。
時として、クライアントは自分だけでなく、コンサルタントにとっても未知の領域に踏み込んでプロジェクトの企画を立てることがある。しかし、先ほども説明したようにコンサルティングの本質は「判断力」の提供である。判断材料の作成を行なったり、ギャランティすることはコンサルティングの機能を逸脱している。
注意しなければならないことは、コンサルタントはコンサルティングだけを行なう人間ではないということである。人によっては、いわゆるプランナーでもあり、企業家でもあり得る。「人」には多面的な能力や志向があるのは当然だからだ。
この、コンサルティングとコンサルタントの混同がクライアントばかりかコンサルティングを行なう側にも蔓延している。コンサルタントはコンサルティング以外の業務を行なってもかまわないが、それがコンサルティングではないことを自他ともに明確にすべきなのである。
この点については、本書を読み進めていくうちに理解していただけるものと考える。また、コンサルティング料金の体系や根拠とも関係して説明を行ないたい。
目次をクリックして続きをお読みください。